対魔忍RPGショートストーリー『舞とふうまと本屋の町』

 週明けの月曜日。
 午前中の授業が終わると、七瀬舞は鞄から紙袋を二つ取り出して席を立った。
「舞ちゃん、今日は学食?」
 いつも一緒にお昼を食べている篠原まり――同じクラスだが対魔忍としては先輩なので、舞はまりちゃん先輩と呼んでいる――が聞いてくる。
「お弁当。ちょっと用があるから先に食べてて」
「うんわかった」
 廊下には学食に向かう生徒や、外でお弁当を食べる生徒がぞろぞろと出てきている。
 そこにいないのを確かめてから、隣の教室の扉から中を覗き込むと、ふうま小太郎がいた。
 いつもの三人、水城ゆきかぜ、相州蛇子、上原鹿之助と机をくっつけてお弁当を広げている。
 なんだかずいぶん大きなお弁当箱だと思ってよく見たら、なんと二段重ねのお重だ。
 そういえば、少し前に専属メイド(すごい言葉!)になった出雲鶴先輩が毎日のお弁当を作っているそうだ。それであの豪華なお弁当。一人だけ教室でお花見みたいだ。
「ふうまさん、ちょっといいですか?」
 教室の入り口から声をかけると、ふうまが立ち上がってこっちに来た。
「よう、昨日はどうも」
「どうもです。これありがとうございました。とっても良かったです」
 一つ目の紙袋から岩波文庫の『西遊記』を三冊、それと別にもう一冊取り出す」
「汚すといけないのでブックカバーつけてます。いらなかったらとっちゃってください」
「なんか一冊増えてるな」
「それはおまけの西遊記です。面白かったんで貸します。良かったら読んでみてください」
「ありがとう」
「岩波西遊記は久しぶりだったから、勢いで全部読んじゃいました」
「全部? そりゃすごいな」
 岩波文庫西遊記は全十巻、舞にとってはなんてことはないが、普通は一気に読んだりしない。
「買ってきた本も読んだから、さすがにちょっと寝不足です」
「俺も寝不足。午前中は半分寝てた」
「いつもと同じですね」
「ぐわ、キツイな」
 おどけるふうまに舞は笑って、リボンで飾りをつけたもう一つの紙袋を差し出す。
「こっちはお裾分けですが『麻布かりんと』です」
「そりゃわざわざどうも。ありがとう」
「はい、それじゃまた」
 ペコリと頭を下げ、ちょっぴり弾んだ気持ちで教室に戻ろうとすると、
「見たぞ見たぞー」
 後ろで変な声がして振り返ったら、購買パンを持った綴木みことが面白いものを見つけたぞというムフフ顔をしていた。
「なになに? ふうまセンパイにプレゼント? 手作りのクッキーとか? 『ふうまさん、これ私の気持ちです、食べてください』みたいな。舞ちゃんついにふうまセンパイにグイグイいき始めたの?」
 と自分がグイグイ迫ってくる。
 そういう話ほんと好きだなあと思いつつ、
「違うよ。ただのお裾分け。本を貸してくれたお礼」
「またまた。舞ちゃん、ふうまセンパイと本の貸し借りなんでよくしてるじゃん。それが今日はなぜかプレゼント付き。これは特別なことがあった証拠と見た。みことちゃんのラブセンサーがぴきーんと反応した」
「別にそんな特別とかじゃなくて、昨日ふうまさんが買った本を私が先に読ませてもらったから、そのお礼をちょっとしただけ」
「えっ? それって舞ちゃん、昨日ふうまセンパイと一緒だったってこと?」
 みことがグイッと身を乗り出してきた。
 あ、まずいこと言っちゃたかなと思いつつ、舞はこう答えた。
「一緒だったっていうか、古本市で会ったんだけど……あっ、もちろん約束してたとかデートとかじゃ全然なくて、本当にたまたま」
 みことは最後まで聞いていなかった。途中でこうしちゃいられないという顔になって、あっと思ったときには身を翻し、舞の教室に向かっている。
「待って、みことちゃん、違うから!」
 これから何をするつもりかすごく予想できた。慌てて追いかけたが遅かった。
「まりちゃん! 大ニュース大ニュース! 舞ちゃん、昨日ふうまセンパイとデートだったんだって!」
「え……?」
 あちゃー、やっぱりだ。
 みことちゃんの大ニュースに、お昼を食べていたまりが箸を床に落としていた。
「舞ちゃんがふうまさんとデート……」
「それ違うから。デートじゃなくて、ふうまさんとはたまたま会っただけだから!」
 舞はすぐ否定したが、まりは箸を拾って拭きながら、「でもふうまさんと会ったってどういうこと?」という顔をしている。
 まずい、これはちゃんと説明しないとと思っていると、
「まりちゃん、ふうま君とデートだったの? どこいったの? なにしたの?」と望月兎奈までぴょんぴょん近寄ってきた。
「ねー、興味あるよね。舞ちゃんとまりちゃんと兎奈ちゃん、三人でふうまさんにバレンタインのチョコあげたんでしょ? なのに舞ちゃんが抜け駆けだよ、抜け駆け!」
 みことちゃんがそれに油を注ぐ。ああもう。
「だからそうじゃないの。あのね――」


 日曜日。
 舞は早くから、東京の神保町に来ていた。古書市があるからだ。
 神保町では年末に町をあげて大々的に開催される『神田古本まつり』が有名で、時事ネタとしてニュースで紹介されたりもする。
 もちろん、舞は毎年かかさず行っているのだが、それとは別に月に何回かの割合で小規模な古書市が開かれている。
 場所は古本街のメインストリートから少し外れた所にある東京古書会館
 そこの教室一つ分くらいの小さな会場で行われ、本好き以外にはあまり知られてはいないが、ちょっとした掘り出し物が見つかることがあって、舞はできるだけ足を運ぶようにしていた。
 その日は最終日で終わる時間も早い。あんまりいい本は残ってないかもしれない。それほど期待はせずに、ちょっとしたものがあるといいなくらいのつもりで出かけていった。
 地下鉄、神保町駅の階段を登り、そのうち行こうかなと思いつつ、まだ一度も入ったことがない映画館、岩波ホールのどれも全然知らない映画の広告を見ながら地上に出る。
 そこは靖国通りと白山通りの交差点だ。
 すぐ目につく本屋は四隅の一つにある廣文館書店だけだけれど、そこを一歩離れると大小合わせて200近い本屋がずらりと軒を並べている。
 紙気使いの舞ですら、その全てを把握しきれてはいない。それが世界有数の本の町、神保町だ。
 それほど久しぶりでもなかったが、また来たなあと気持ちが盛り上がってくる。
 もう夏の盛りも過ぎて、透き通った空は秋を感じさせるが、寒いというほどでもなく、本屋街を回るにはぴったりの季節だ。
 時刻は十時半、もう古書市は始まっている。
 すぐに古書会館に行ってもよかったのだが、なんとなくいつもの習慣で、交差点のすぐ横にある神田古書センターに足を向けた。
 そこは町のシンボルとも言えるビルで、一階は創業明治八年の老舗、髙山本店
 その上は古書センターの名の通り古本屋ばかり――と思わせておいて、いきなり老舗のカレー屋さんがあったりする愉快な場所だ。
 神保町はカレーの町としても有名で、共栄堂エチオピアガヴィアルなんかが舞の好きな店だ。
 古書センターの二階にあるのはボンディ、いつ行ってもずらりと人が並んでいる。今日も開店前なのにもう人がいた。
 ここのカレーは半年ほど前、眞田焔が神保町に行ったことがないというので案内したときに一緒に食べたっきり。ぷうんと漂ってくる匂いにとても心惹かれたが、
「うん、やめとこう」
 まだお昼には早いし、一人でカレーというのも寂しい。
 それにあそこはカレーの前に美味しいジャガバターが出てくるので、つい食べ過ぎてお腹が重くなってしまう。
 二階の漫画専門店、夢野書店をざっと見て回り、三階にある鳥海書房でハヤカワ文庫の『地上から消えた動物』というのが200円と安かったので買って、それから五階のみわ書房もちょっと覗いてみた。
 ここは児童書専門店で子供向けの絵本や童話、雑誌、児童文学の評論などに詳しい。
 特になにを探すというのでもなく、今日はどんな本があるかなと棚を流し見していたら、見覚えのある人が本をめくっていた。
「ふうまさん」
 思わず声に出すと、こっちを見て目を丸くする。
「舞? うわ、すごい偶然だな。ひょっとして古書市?」
「はい、そうです」
 いきなり会って向こうも驚いていたが、来た理由は同じだった。


「えーー? ほんと? ほんとに偶然そこで会ったの? 実は約束してたとかじゃなく?」
 みことが素っ頓狂な声を出した。すごく疑っている顔だ。
「してないしてない。約束とかじゃ全然なくて、古書市があったから二人ともその日に行ってただけ」
「でもでも、そこで偶然ふうまセンパイと出逢っちゃうとか、やっぱりなにか――」
「ないない。たまたま。ほんとにたまたま」
 舞が重ねて否定すると、まりが偶然は信じるけど、ふうまと一緒だったのはちょっと気になるという顔で聞いてきた。
「それで舞ちゃん、ふうまさんと一緒にその古書市に行ったの?」
「それは、うん、まあ……」
 舞は頷いて、話を続けた。


西遊記ですか?」
 みわ書房でふうまが手にしていた本だ。児童文学全集の一冊という感じで、かなり古そうなものだった。
「ああ、でも探してたのとは違うみたいだ」
 そう言ってあっさり棚に戻す。
「古書会館にはもう行った?」
「まだです。そろそろ行こうかなって」
「俺もまだ。じゃあ一緒に行く?」
「え? ……あ、はい」
 わっ、これって誘われたことになるのかな? でもふうまさんだし、そういうこと考えずに普通に言った感じかな。
 それでもちょっと嬉しくなって、一緒にみわ書房を出て、古書センターの狭い階段を降りて行く。先を歩くふうまが言った。
「本当はすぐ古書会館に行くつもりだったんだけど、なんとなく習慣でここに来てた。神保町の起点だからな」
「私もそうです。もう一冊買っちゃいました」
「早いな。なに?」
「『地上から消えた動物』、ドードーとかリョコウバトとか絶滅した動物の本みたいです」
「面白そうだな。俺も一冊買った」
 ふうまはデイバッグをごそごそやって、その本を見せてくれた。
それがし乞食にあらず
 リアルなタッチで描かれた浪人風の侍が薪を背負っている絵が表紙の漫画だ。
平田弘史ですね」
「知ってるのか」
 ふうまは嬉しそうに言った。普通は知らないというニュアンスだ。
 確かにハードな絵柄といい、情け容赦のない話といい、あまり女の子向けではない。
「『首代引受人』とか好きですよ」
「お、いいねえ」
 ふうまはますます嬉しそうな顔になって、いきなりその表情を歪めたかと思うと、舞に掌を差し出してみせた。
「『ま、待ってくれ。銭で頼む!』」
 首代とは戦場で命を助けてもらう代わりに差し出す手形のことで、この作品は取り立てに行く引受人と、取り立てられる者、その周りの人間たちの壮絶な生き様を圧倒的な画力で描いている。「銭で頼む」というのはそのお決まりのフレーズだ。
 舞は自分も腕組みして重々しい顔をしてみせ、命乞いするふうまに言ってあげた。
「『よかろう。では500貫』」
「『高い! そりゃ高い!』」
「『なにい!?』」
 そこまでやって二人で笑い出す。
「今日はノリがいいな」
「それはもう神保町ですから」
「だよな」
 ふうまは本をデイバッグに戻して、ひょいと肩に掛けた。
 大きくて丈夫そうなデイバッグだ。本がたくさん入る。この町には相応しい。
 服はグレーのポロシャツにネイビーのスラックス、そしてスニーカー。
 清潔感はあるがオシャレ感はあんまりない。男の子が普通に外に行く時の格好という感じだ。
 もっとも、舞も今日は動きやすさを重視して、グリーンのニットにデニムのパンツ、ぺったんこのパンプスというラフな装いだからあんまり人のことは言えない。
 もしもだけど、今日ここで二人で待ち合わせとかだったら、もっとちゃんとした格好にするけど、偶然なのでしょうがない。
 見られて恥ずかしいほどではないし、二人とも地味なスタイルなので、神保町に合っている気がする。
 なんて思っていたら、今日の舞の姿を見てふうまが言った。
「なんかいつもと感じが違うな」
「そうですか? 今日は紙の服じゃないからかな。髪も後ろでまとめてますし」
 舞はふうまにちょっと背中を向けて、お団子ポニーテールを見せてあげた。
「ああ、それでか。邪魔だから?」
「はい、いつものだと周りに当たっちゃって、ここ狭い本屋さん多いですしね」
 納得したように頷くふうまを見ながら、それで「似合ってる」とは続かないんだろうな、注意力はあるけど、そういうことに気の回る人じゃないし、と思っていたら、
「神保町っぽくていいんじゃないか。似合ってるよ」
「あはっ、そうですか? ありがとうございます」
 来ないと思っていた言葉に、ついお礼を言いながら笑い出してしまう。
「え? 笑うとこ?」
「そんなことないです。嬉しいです。ふうまさんも神保町っぽくていいですよ」
 気の回らない人だなんて思ってごめんなさいと心の中で謝りながら、カップルっぽく並んで歩いていく。
 靖国通りを小川町の方に向かう。古書会館までは十分もかからない。その間にひしめく本屋に捕まらなければだが。
 だから大雲堂一誠堂といった、今入ると絶対に出られなくなりそうな老舗は素通りして、書泉グランデの店先に貼ってある新刊情報を軽くチェックしながら、三省堂の横の交差点までたどり着いた。ここを渡ればすぐだ。
 信号待ちをしていると、ふうまが聞いてきた。
「そのバッグ小さいな。今日はあまり買わないつもりとか? いや、そんなわけないよな」
 舞のポシェットを見て不思議そうな顔をしている。
「はい、そんなわけないです。これは私が作った紙のバッグです。折り紙構造になっていて中身に合わせて何段階かで大きくできるんです。最後はキャリーカートになりますよ」
「キャリーカートって便利すぎだろ」
「でしょう?」
 信号が青に変わった。交差点を渡りながら今度は舞が尋ねた。
「今日はなにか目当ての本とかあるんですか?」
「特にないな。なんか良いのがないかなって」
「私もです。さっきの西遊記は? なにか探してましたけど」
「小さい頃に持ってたのをずーっと探してるんだけど、作者も出版社も全然覚えてなくてさ」
「子供の頃ってそうですよね。普通に西遊記ですし」
「そうそう。子供向けに一冊か上下巻くらいにまとまったやつで、八戒を仲間にするときに、悟空が八戒の耳を指で引っ張ってる挿絵があったんだよ。それ見ればこれだって分かるんだけど」
「それで挿絵があるかチェックしてたんですね。でもそれはなかなか探すの難しいですね」
「それっぽい本をこまめにチェックしてるんだけどな。最近は挿絵の記憶もちょっと疑ってる。なにせ小さかったからなあ」
 ふうまは頭ではもう半分諦めている、でも気持ちでは諦めきれないという顔で首を捻った。
「元の西遊記はなんでなくしちゃったんですか?」
「昔、ふうまの屋敷が丸ごと焼けたときにね。西遊記だけじゃなく、そんときになくした本をコツコツ集め直してるんだ」
「そうなんですか……なるほど」
 悲惨な過去をさらっと口にする。いきなりでドキッとして『なるほど』とか変な反応をしてしまった。ふうまは別に気にした風もなく、
「舞はそういうのある? ずっと探してる本とか」
「あります。私も前に持ってた本で、少女マンガなんですけど、大矢ちきの『回転木馬』って、さすがに知らないですよね?」
「うーん、全然知らない。作者の名前も聞いたことない。ごめん」
「しょうがないです。絵もお話もすごく繊細で綺麗な作品を描く漫画家さんなんですが、本はあんまり出てないですし……あ、でもあれは見たことあるかな? 『アルジャーノンに花束を』って読んだことあります? ダニエル・キイスの」
「ああ、もちろん」
「その本の表紙の花束……ええとこれです。これを描いた人です」
 舞はスマホでそれを検索してふうまに見せた。
「あー、見たことある見たことある。へえ、これを描いた人なんだ」
 ふうまはひどく感心したように頷いている。
「『回転木馬』は1970年代の作品で、元々は『りぼん』に載ってたんです。でもずーっと単行本にならなくて、40年くらいたってやっと復刻されたんです。本になったのはその1回だけ」
「そりゃプレミアがつきそうだな」
「はい、すごく。私それ持ってたんですが、焔さんに見せたらとても気に入ってくれて、誕生日のプレゼントにあげちゃったんですよね。雑誌のコピーはありましたし、別にいいかなって」
「でも、やっぱり手元に置いておきたくなったんだ。あるある」
 笑い出すふうまに、舞は溜息混じりで、
「さすがに返してくださいとは言えませんし」
「そりゃそうだ」
「あげるの違うのにすればよかったです」
 思わず愚痴ってしまう舞に、ふうまがまた笑いながら、「見つかるといいな」と励ましてくれたところで、古書会館にたどり着いた。
「それじゃ」
「はい」
 地下一階の会場に入り、ふうまとはそこで別れる。


「待って待って? 『それじゃ』ってなに? まさかそこでふうまセンパイと別行動?」
 みことがビックリした顔で聞いてきた。
「そうだよ」
「なんでなんで? デートなのに」
「だからデートじゃないって。みことちゃんしつこい」
「でもでも、そこまで二人で一緒に歩いて来たんでしょ? なんか話もすごく盛り上がってたし、なんでそこで別れちゃうの? それっておかしいよー」
「でも見たい本は二人とも違うし、お互いのペースがあるし、逆にふうまさんに『一緒に見て回ろう』とか言われたら、ちょっと嫌かな」
「嫌とまで言う。舞ちゃん、超マイペース」
 ものすごく不思議そうな顔をされた。そんなに変かな?
「舞ちゃんらしいよね。私だったらドキドキしちゃって、そんなこととてもできないけど」
 舞のことをよく知っているまりがそう言ってくれた。
「それはまりちゃんがふうま君のこと大好きだからだよね!」
 兎奈ちゃんがいきなり言った。からかってるのではなく、「そういうのすごく素敵だな!」と思っている顔だった。
「ふえっ!?」
 変な声を出すまりに、みことちゃんがすかさず食いつく。
「やっぱりそうなんだ! まりちゃん、ふうまセンパイにラブなの? ラブ?」
「ち、違くて。私はふうまさんのこと尊敬してるっていうか、ただ憧れてるっていうか。ラブとかそういうんじゃなくて!」
「えーホントかなあ」
 みことは疑わしそうな声を出す。そのへんは舞も同感だ。
 もう思い切って告白しちゃえばいいのに。ふうまさんそっち方面ものすごい鈍感だから、言わないと絶対気づいてくれないよ。でもできないんだろうな、まりちゃん先輩。
「私のことはいいから、今日は舞ちゃんの話でしょ? 続き聞こう続き。その後、ふうまさんとどうしたの?」
 あ、ずるい、逃げたと思ったが、みことにグイグイ攻められてちょっとかわいそうなので、舞は昨日の話を続けた。

 と言っても、古書市では本当に別行動だった。
 それほど広くない会場で本を探している後ろ姿を見かけては、「あ、いた」と思うくらいで、別に声をかけたりはしない。
 もちろんお互い無視しているわけではなく、本を探す合間合間にちょっとだけ話すことはあった。
「なんかいいの見つかった?」
「一つ見つけました」
 舞はエドワード・ウインパーの『アルプス登攀記』を見せた。
エドワード・ウインパー。聞いたことあるな、誰だっけ?」
マッターホルンを初登頂した登山家みたいです。これはその記録ですね。面白そうですし、挿絵が素敵なので」
 舞は本を広げていくつかの挿絵を見せた。
木版画か。いいね。いくら?」
「300円です」
「安い。俺はこれ。1500円」
 ふうまが見せたのは、『江戸時代 砲術家の生活』。わ、面白そう。
「買うかどうか迷ったけど、今は保留にしておいて、また後でとかやるともうないんだよな」
「あるあるですね」
 話すことはそれくらいで、すぐまたそれぞれ勝手に本を探し始める。
「あ、西遊記
 舞はこども名作全集という赤い装丁の本を見つけた。
 念のため、耳を引っ張られている八戒の挿絵があるかチェックしてみたがダメだった。
 そんな簡単に見つかったら苦労はない。
 舞が探している『回転木馬』もなし。もっとも後でコミックの専門店に行くつもりなので、ここでは期待していない。
 そんな感じで、お互いたまに姿を見かけたり、時々話したりしていたら、なんとなく会計のタイミングも一緒になった。別にそういう約束をしてたとかじゃない。
 ちょうどお昼時だったので、古書会館を出て、そのまま食事をする流れになった。
「ふうまさん、なに食べます?」
「久しぶりの神保町だから『ボンディ』とか行きたいけどな」
「すごく混んでますよね」
「だよな。あそこまで戻るのも面倒くさいし、このへんまだ見て回りたいし、三省堂の2階のカフェとかどう?」
「あ、いいですね。後で三省堂も行きたいですし」
 そこにあるのはUCCカフェ。日本で初めて缶コーヒーを開発したあのUCCだ。
 もちろんお店で出すのは缶コーヒーではなくて、ちゃんとしたサイフォン式。
 カウンターにずらりと並んだサイフォンがポコポコ鳴っている眺めは楽しいし、女の子一人でも入りやすい店なので、舞はよく利用していた。なにより三省堂に直結しているのが嬉しい。
 お昼だけど、ちょっと甘いものが食べたかったので、舞はフルーツワッフル、ふうまは焼きカレーを頼んでいた。
 そして、どちらからともなくさっき買った本の見せ合いが始まった。
 二人ともかなり買っている。ふうまのデイバッグはもうだいぶ膨らんでいるし、舞のポシェットはトートバッグサイズに変っていた。
「今日の掘り出し物はこれですね」
 舞が取り出したのは、柏書房の『聖徳太子事典』だ。
聖徳太子事典? 事典? 聖徳太子だけの?」
「そうです」
「すごいな。そんなものが成り立つんだ。しかもかなり分厚い。いくら?」
「5000円でした」
「おお、結構するな。聖徳太子事典」
「でも絶版ですし、ネットの通販では1万円くらいするのでラッキーでした」
「ちょっと見せてくれる?」
「いいですよ、どうぞ」
 ふうまはカフェの手ぬぐいでちゃんと手を拭ってから、本を開いて目についた項目を読み始めた。
「ええと、『勝鬘経義疏私鈔、しょうまんぎょうぎしょししょう。聖徳太子勝鬘経義疏に対する唐代明空の末注、6巻より構成される。勝鬘経義疏等の三径義疏が真撰であるかどうかについて』云々かんぬんと。うん、聖徳太子以外、一つも分からない」
 ふうまはあっさり匙を投げると舞に本を返してきた。
勝鬘経(しょうまんぎょう)は、お釈迦様の前で勝鬘夫人って人が教えを説いて、それをお釈迦様が認めるって筋書きの……要するに一般向けに分かりやすく書いた経典ですね。義疏(ぎしょ)は聖徳太子が書いたその注釈書で、私鈔(ししょう)はさらにその注釈みたいですね。へー、そんなのがあるんだ」
「読んだことは?」
「最初の勝鬘経だけはあります。現代語訳されたのですけど」
「さすが。俺はこれを買ってきた。探してた挿絵の奴じゃないけど『西遊記』」
 ふうまが取り出したのは岩波文庫の『西遊記』だった。基本も基本だ。それを一巻から三巻。
岩波文庫ですか? ふうまさんならとっくに読んでそうですけど、それも最初の三冊だけ?」
 読み直すにしても変な買い方だ。わざわざ古書市で買わなくても、この町なら十巻セットがそこらで簡単に安く手に入る。
 舞が首を傾げると、ふうまはちょっと得意げな顔になって、
「翻訳者が違う」
「小野忍? あれ? ……あ、そうか。思い出しました。岩波文庫西遊記の翻訳は元々この人が始めたんですよね」
「そうそう。でも途中で亡くなっちゃって、その後を中野美代子が引き継いたんだよな。で、小野忍で出していた三冊も改めて翻訳しなおして、今はそれでひとまとめってことになってる。小野忍の方は絶版。それがこれ。少し高かったけど前々から気になってたから」
「分かります。私も前書きを読んで気になってました。あ、いいな。読みたいな」
「じゃあ貸そうか?」
 ふうまは買ったばかりの本を差し出した。舞はびっくりして、
「え? いいんですか? せっかく手に入れたのに、ふうまさんが先に読まなくて?」
「今日は色々買う予定だから、なるべく本を減らしておきたいんだよな。すでに結構重くてさ。そのバッグまだキャリーカートに変形するんだろ。三冊だけどよろしく」
「あっ、ひどい。私に荷物持ちさせるとか。わかりました。ふうまさんの代わりに大切に持って帰ります」
 舞はちょっと怒った顔をしてみせて、ふうまから本をありがたく受け取った。


「舞ちゃんとふうまさん、すごい楽しそう。デートみたい」
 まりがぼそっと言った。目つきがどんよりしている。
「ちがうちがう。普通に本の話してただけ。図書室とかでもよくしてるでしょ。それと同じ。デートとかじゃ全然ないから」
「そうかなあ」
「だよねー、学校の中じゃなくて外で二人っきりだもんね。普通に話しててもラブ度がすごいよね。ムフフフフ」
 みことがまた余計なことを言う。どうあっても舞とふうまをそういうことにしたいようだ。
「舞ちゃん、それでそれで? 一緒にご飯食べて、お喋りして、それからどうしたの?」
 兎奈も身体を前後に揺すりながら興味津々で聞いてくる。
「それから? 普通に三省堂で別れたけど」
「別れた! なんで!?」
 みことがまた信じられないという顔をした。
「だから見たい本が違うし、本屋は一人で回りたいの。もうこれでおしまい。ほらチャイム鳴ってる」
 もう昼休みも終わりだ。
 みことはなぜか残念そうな顔で、兎奈はすごく面白かったという顔で、まりはなんとなくまだ納得してないような顔で去っていった。
 ようやく三人から解放され、舞は少しだけほっとした。
 ふうまとの話、実はまだちょっと続きがあったのだ。


「そろそろ帰ろうかな」
 舞がいつも寄っている老舗の和紙店、山形屋紙店の外に出ると、通りはだいぶ暗くなっていた。
 時刻はもうすぐ夜の7時。
 この町の夜は早い。
 三省堂東京堂書泉グランデなどの大型書店はもうちょっと開いているけれど、古本屋は5時くらいから店じまいを始めてしまう。
 行きたいところは大体回ったし、思いがけないものが色々と手に入った 。
 特に萩尾望都の自伝『一度きりの大泉の話』の初版本を買えたのが嬉しい。増刷されたものはもちろん持っているけれど、やっぱり初版本を手元に置いておきたい。
 それだけでは萩尾望都成分が足りなくて、大好きな短編が載っている『半神 自選短編作品集』の美品があったので、これも持っているのにまた買ってしまった。予備にしよう。
 それから『怪傑黒頭巾』や『豹(ジャガー)の眼』など、第二次世界大戦前後に活躍した高垣眸がその晩年に手がけた『熱血小説 宇宙戦艦ヤマト
 タイトルに「熱血」とあるように、オリジナルのアニメとはかなり雰囲気が違うらしい。話には聞いていたが、実物を見たのは初めてだ。箱付きで状態も良かった。
 他には、東洋文庫の『鏡の国の孫悟空』。これはワゴンの安売りだ。全然知らない本だが、ふうまから西遊記を借りていたのと、ルイス・キャロルの『アリス』が好きなのでタイトルを見た瞬間、ピピっときて買ってしまった。読んで面白かったら、お返しにふうまに貸してあげようかな。
 その他にもたくさん買った。『回転木馬』が見つからなかったのは残念だけど、それはまた今度の楽しみにしよう。
 舞は今日の獲物が詰まったキャリーカートを引きながら、神保町駅までの道をのんびりと歩き始めた。
 少し前に甘味処の大丸やき茶房で名物の大丸やきを食べたので、まだお腹は空いていない。今から五車町に帰れば、ちょっと遅い夕食に間に合うはずだ。
 帰りの電車で買ったばかりの本を読むのが楽しみだ。どれから読もうかなと考えていると、スマホに着信があった。
 ふうまからだ。なんだろう?
 お昼の後、別れたきり会っていない。まだ神保町にいるのだろうか? まさか待ってるから一緒に帰ろう―――なんてことは絶対に言わない。
「もしもし、七瀬です」
「ふうまだけど、まだ神保町?」
「これから帰るところです」
「よかった。あのさ、探してた本って、確か大矢ちきの――」
「あったんですか!」
 ふうまが全部言うより早く、舞はスマホに噛みつきそうな勢いで尋ねていた。
「ああ、回転木馬でいいんだよな? メリーゴーラウンドの馬の後ろに人が二人並んでる表紙の」
「それですそれです! ふうまさんどこですか? なんて店ですか?」
喇嘛舎(らましゃ)、場所分かる?」
「分かります。すぐ行きます! それキープしておいてくだい! お願いします!」
 舞は電話を切り、喇嘛舎まで走り出そうとして、はっと時間を確かめた。
 6時50分。
 喇嘛舎は明治大学のすぐそば、ここからだと交差点を二つ渡らなければいけない。
 閉店は確か7時。
 信号待ちでぐずぐずしていたら間に合わないかもしれない。
 ならば方法は一つ。
 舞はキャリーカートをまた変形させて背負うと、こんなこともあろうかと持ってきていた忍法用の紙束をパンプスの裏に素早く張った。
「紙気・跳躍脚っ!! たあああっっ!!」
 大きく身を沈めてから、思い切りジャンプする。足裏に束ねた紙がバネのように反発して、舞の身体は勢いよく宙に舞い上がった。
「はっ! はっっ! はあっ!」
 そのまま左右のビル壁を次々と蹴飛ばし、下にいる人が「なんだあれは!?」とか言っているが、それは気にしないことにして、舞は喇嘛舎まで全速力でぶっ跳んでいった。


「ふうまさん、ありがとうございます。ほんとにありがとうございます! うわあ、嬉しい! やっとまた買えました!」
 閉店にはギリギリで間に合い、舞は念願の『回転木馬』を手に入れることができた。
「なにも空飛んで来なくても」
 忍法でいきなり店の前に降りてきた舞にふうまは呆れていた。
「空は飛んでません。飛び跳ねてきただけです」
スパイダーマンか」
「むしろバネ足ジャックですね」
「そりゃ怪人だよ」
 そう言って笑うふうまは、そのスパイダーマンの小説を喇嘛舎で買っていた。
 それもマーベル・シネマティック・ユニバースが流行する遙か前、1980年に翻訳された『驚異のスパイダーマン』というハヤカワ文庫だ。原題の『アメイジングスパイダーマン』をそのまま訳した題名が妙におかしい。今度読ませてもらおう。
 そんなことがあったので、彼とはそのまま一緒に帰ることになった。
 それがあの三人には言わなかったこと。
 でも、別にそれで帰り道ずっとお喋りしてたとかではなく、逆に電車の中では二人とも買ってきた本を黙々と読んでいた。
 話をしたのは乗り換えの時と、二人ともお腹が空いてしまって、そこのホームの立ち食い蕎麦屋に寄った時、そして五車町の駅でさよならする時くらいだ。
 ロマンチックな雰囲気は全然なくて、あっても困ってしまいそうだし、むしろふうまとのそれくらいの距離感が舞にはとても心地良かった。
 また神保町で会えたらいいな、今度は一緒に行かないかと誘ってみようかなとか考えなくもなかったが、それはもうデートになってしまう。
 嫌ではないけれど、神保町はやっぱり自分のペースで歩きたい。でもデートで別行動って、さすがにちょっと変かなあと思う今の舞だった。
 ところで、舞が神保町で飛び跳ねた件はどこをどう伝わったのか、アサギ先生にしっかり知られることになり、後で大目玉を食らうことになった。

 

 

(了)

 

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【制作後記】

 また舞とふうまの本の話を作ってみた。
 特に敵は出てこない。本編の外伝とかにも多分なっていない。単に神保町で楽しく過ごすだけの話だ。まあ、こういうのは本編ではできないしね。
 舞は盛んにデートじゃない発言をしているが普通にデートだろう。そろそろまりちゃん先輩に謝ったほうがいい。
 それはさておき、本屋を自分のペースで回りたいのは分かる。私だってそうだ。
 しかし、二人でああだこうだ言いながら一緒に見て回るのは、また別の楽しみがある。別行動したくなったら、適当に時間を決めて落ちあって、お互いに買った本を見せあえばいい。その時になんでもいいから1冊、相手にあげる本を選んでくるなんて遊びもできる。
 なにしろ、こっちの世界ではコロナのせいで、毎年今ごろにやっている神田古本まつりが2年続けて中止になってしまった。あっちの世界ではやっているだろうから、この二人にはぜひ一緒に行ってもらいたい。もちろん、こっちでも早くまた開催できることを願っている。
 なお今回、作中に登場した書店や本は全て実在している。せっかくなので書店は神保町オフィシャルサイトの各書店のページに、本は各出版社やAmazonの該当ページにリンクを張ってみた。
 対魔忍RPGは未来の話なので、その頃には神保町も今と変っているだろうが、そういうことは気にしない。
 そうそう、ふうま君が探している「悟空が八戒の耳を摘んでいる挿絵のある西遊記」もちゃんと存在している。春陽堂少年少女文庫の『西遊記』である。
 実はこの本、私自身がずっとその挿絵の記憶だけを頼りに探していて、この後記で「ご存知の方はご一報を」とやって締めるつもりだったのだが、ちょうど話を書き上げて、よしアップしようかというあたりで、いきなり見つかってしまった。そういう偶然はある。
 ふうま君が手に入れるはずだった本を異世界からぶんどってしまったような気がちょっとしている。

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