「ヨー魔界騎士、ヤバイ意思か……はぁ」
魔界騎士リーナ、またの名を【a.k.a.嵐騎】リーナは、夕闇迫る地上の川のほとりで一人ため息をついていた。
ここはノマドの日本支部がある地下都市ヨミハラからもほど近く、リーナの故郷である魔界のレーヌ川に雰囲気が似ていなくもないので、色々と失敗したり落ち込んだときに気持ちを慰めるのにちょうどいいのだった。
「まさか鐘一つとは。イングリッド様も期待してくださっていたのに。なんという不覚、うう」
先日、ノマドの面々と海水浴に行った際、リーナは浜のラップ大会に出場したのだが、とっておきのラップ『魔界騎士だぜヘイチェッケラ!』があろうことか鐘一つという結果に終わってしまった。
魔術師のエレーナはもちろん、他の仲間たち、それから敬愛するイングリッドも頑張ったと言ってくれた。
けれど、ひょっとして優勝してデビューしてしまうかもしれない、そしたらジャケ写はこんなポーズにしようとか、いや待て自分は誇りある魔界騎士だ、趣味ならばともかくプロのラッパーになるわけにはいかないとか、あれこれ色々考えていただけに、まさかの鐘一つは本当に本当にショックなのだった。
リーナはこんな時に似合う仕草、つまりしゃがんで川に石を放り投げながら、なぜ駄目だったのかを考えていた。
「やっぱり私自身を歌ったのが良くなかったのか? 確かに凛々しくてカッコいいイングリッド様を称える歌なら優勝は間違いなしだったろうが、魔界騎士としてイングリッド様に遠く及ばぬ私がそれを歌うというのは……うう、駄目だ。そんな恥知らずなことはとてもできない。イングリッド様に呆れられてしまう。ああっ、私がもっと魔界騎士として勇名を馳せていればっ、私自分が情けないっ、くそおおお!!」
とまあ、リーナが悶えながらやたらめったら石を投げていると、
「ぐるるる……」
うるせえなあという感じの低い唸り声がすぐそばでした。
「はっ!!」
リーナの身体が強張った。
この嫌な声はまさか、まさか……。
声がした方に恐る恐る顔を向けると、
「うわあああ! すごく大きな犬っ!!」
身の丈10メートルはあろうかという巨大な犬がそこに居座っていた。
銀色の身体のあちこちに太い鎖を絡みつかせた凶悪極まりない顔つきの犬だ。
なにが嫌いと言って、犬ほどリーナの嫌いなものはない。
イングリッドに出会うずっと前、今よりずっとずっと弱かったリーナはある高位魔族の家でメイドをしていた。
そこにはとても意地悪で凶暴な犬がいて、そいつに吠えかけられた恐ろしさ、何もできなかった悔しさが身体に染みついてしまった。
だから犬などより遙かに強くなった今でも、その姿を見るだけで、その声を聞くだけで身体が竦んでしまう。
まして、いつのまにかそばにいたそいつは、 今まで見たことのないような巨大な犬だ。
「わっわっわあああああああ!!」
リーナはアタフタと立ち上がろうとするが、みっともなく足を絡ませ、その場にべたんと尻餅をついてしまう。
大きな犬はそんなリーナにのっそりと近づいてきた。
吠えられる! 噛まれる!
怖い怖い怖い!!
「うわああああ、来るな、来るなああああっ!」
だけと、そいつは吠えもしないし、噛みもしなかった。
ジタバタするリーナに前足をちょこんと伸ばすと、背中をポンと押して身体を起こしてくれた。
「ふえっ?」
リーナはキョトンとした。
こんな大きくて凶悪そうな犬がこんなことをしてくれるなんて信じられない。
「ぐるる……」
そいつは「驚かせてごめんな」という感じの唸り声を出して、リーナから離れていった。
そして、さっきまでの彼女と同じように川辺にぺたんと座り込んだ。
その横顔と背中がなんとなく寂しげだ。尻尾もだらんと力なく垂れている。見れば、右の前足を怪我していた。爪のあたりに包帯が巻かれている。
「お、おい、そこの犬、お前、もしかして落ち込んでいるのか? それとも足の傷が痛むのか? だ、大丈夫か?」
リーナはその大きな犬に恐る恐る声をかけてみた。
犬は苦手だが、苦しんでいる者を助けるのは魔界騎士の務めだからだ。
もちろんそばまで寄ることはできないので、遠巻きからそっとという感じだったが。
「ぐる?」
大きな犬は座ったまま顔だけこちらに向けた。やはり悲しそうな顔をしている気がする。
少なくとも、リーナがただ道を歩いているだけで通りの向こう側から激しく吠えかけてくるような、まったく意味の分からないそこらの犬とは違う――と思う。
とはいえ相手は犬だ。なにをするか分からない。
急に凶悪な本性を現しても逃げられるように、刺激しないように言葉を選んで、穏やかに話しかける。
「ここは私のお気に入りの場所だが、し、しばらくならそこにいてもいいぞ、うん」
「くーん」
通じたのか通じないのか分からないが、大きな犬はやはりちょっと元気のない声で返事をした。
「そっちも元気ないの?」と聞かれた気がした。
「わ、私か? 私はラップ大会で尊敬するお方の期待に応えることができずに、まあ落ち込んでいたんだ。ちょっとだけだけどな」
「ぐるる?」
犬の声の調子が少し変わった。
リーナは反射的にビクッとしたが、別に噛みつこうとかしたわけではないようだった。
なんとなくだが、ラップについて詳しく聞きたがっているようだ。
「私自身を歌ったラップなんだ。自信作だったけど、大会ではあえなく鐘一つだった。情けない限りだ」
「ぐる、ぐるるる?」
「なんだ? もしかして聞きたいのか?」
リーナが尋ねると犬はこくんと頷いた。どうやら人語を解するようだ。
確かにこれだけの大きさ、銀色の見事な毛並み、身体に巻かれた曰くありげな鎖、なにより犬とは思えない気配り、ただの犬ではなさそうだ。
「よ、よし、ここで会ったのも何かの縁だ。歌ってやろう。心して聞くんだぞ」
リーナはスーッと息を吸って、大会では最後まで歌うことのできなかった曲を歌い始めた。
「ヨー、魔界騎士! ヤバイ意思っ!
嵐騎のパッション! 本気のアクション!
たぎる衝動っ! 唸る戦場っ!
どんな敵でもイェイ上等!
とくと拝みな、桜嵐舞闘イェーイ!」
「ぐるっ、ぐるっ、ぐるぐるぐるっ」
犬は大きな身体でリズムをとり始めた。萎れていた尻尾もツンと立って、右に左に心地よさそうに揺れ出す。
喜んでいるらしい。
リーナは嬉しくなった。
「なんだお前、私のラップが分かるのか? 犬にしては見上げたやつだな。よーし、私についてこいっ!」
リーナは大きな犬に言うと、全身でフロウを決め、ライムを刻み始めた。
「バシュッと鞘走るサウザントバニッシュ!
ステルス暗ますブロッサムステップっ!
ひらりひらり躱してチェリーフラーリィ!
やつらにカマすぜサクラにアラシっ、わお!!」
「ぐるぐるくーん! くくんくーんっ!」
大きな犬も身体をフリフリ、尻尾をぶんぶん、すっかりノリノリだ。
「今の限界、越えてオーライっ!
無理なんてない、飛べフライハイっ!
イェイ華麗にっ! イェイ軽やかにっ!
サクラブロッサムで道を開くっ!
魔界騎士だぜヘイチェケラ!
いぇーい!!」
「きゃうんきゃうきゃうん!」
大きな犬はいきなり身体をぐりぐりとリーナに擦り付けてきた。
「うわわわわわわっ!」
反射的に身体が竦んでしまうが、この犬が楽しくてじゃれついているのはさすがに分かる。
「は、はは……そ、そうか、そんなに気にいってくれたか。う、うん、私も嬉しいぞ。せっかくだから身体を撫でてやろう、よ、よしよし」
リーナは恐々とだが、生まれて初めて犬を、その大きな犬を撫でてやったのだった。
ごわごわしてるように見えた銀色の毛はまるで絨毯のように柔らかで、今まで嗅いだことのない優しい匂いがした。
いつのまにか夜の帳が降りていた。
けれど落ち込んでいたリーナの気持ちはすっかり晴れていた。
この大きな犬と一緒に思いっきり歌ったおかげだ。
向こうもどうやら元気になったようだった。
今はリラックスした様子で大きな身体をリーナのそばに横たえている
彼女のラップがよほど気に入ったらしく、尻尾がまだフリフリとリズムを刻んでいた。
「よし、そろそろ帰るか!」
リーナはすっくと立ち上がった。
「くーん?」
大きな犬は「もう帰るの?」と言いたげなちょっと甘えた顔をしたが、
「お前にもその包帯を巻いてくれた主人がちゃんといるのだろう。帰るのが遅くなって心配させてはいけないぞ。私も戻ってイングリッド様に改めて私のラップを聞いていただくつもりだ。観客などイングリッド様お一人で十分だからな!」
「くくーん、わん!」
大きな犬も分かってくれたようだ。最後に一声鳴くと、ビュンと風のようにどこかへ走り去っていった。
さっき嗅いだ不思議な匂いがしばらくの間、川のほとりに残っていた。
「あっ、リーナさん……おかえりなさい」
ヨミハラの闇の宮殿に戻ると、なんだか騒がしい。
大部屋のテーブルに山のような服を置き、姿見をずらりと並べて、大勢で服をとっかえひっかえワイワイ騒いでいる。
「エレーナ、これは何事だ?」
「こ、衣替えです」
魔術師のエレーナがなんだか疲れたような顔で言った。
「衣替え?」
「な、夏で暑いというので、みんなで衣替えしようと……わ、私も着せ替え人形にされて……すごく疲れました」
「でも、それはいつもと同じ服だな」
そう指摘すると、エレーナはビクッとして一歩後ずさった。
「こ、これはしょうがないんです……魔術師のローブはそれ自体、魔力を高めるためのものですから……あ、暑いからといって、その……着替えるわけには……」
「うむ。それは私も同じだ。というか、心頭滅却すれば火もまた涼し。魔界騎士たる者、暑いからといってチャラチャラ衣替えなどするわけにはいかないからな」
リーナは今日も自分でコーディネートした魔界騎士らしい格好だ。
白いブラウスに赤いチェックのミニスカート、黒のガーディガンは彼女の魔力を具現化したものだ。
太ももとおへその露出はもちろんイングリッドのセクシーでカッコいい姿を意識している。誰も気づいてくれないが。
「はあ……そうですか」
エレーナは頷いたが、ふいに「あれっ?」という顔になった。
「リーナさん、その守りはどうしたんですか?」
「守り? なんのことだ?」
「い、いえ……リーナさん、不思議なオーラで守られてます。ちょっと失礼しますね」
エレーナはリーナに向かってちょいちょいと杖を振った。なにかを調べているようだ。
「やっぱりリーナさん、守られてますね……魔法じゃないみたいですけど……多分、しばらくの間、リーナさんとその周りにいる人を……ええと石化から守ってくれるはずです……なにかあったんですか?」
エレーナは不思議そうだ。
だが、リーナにはまるで心当たりはない。
もしかしたら、あの大きな犬と一緒にラップを歌ったせいだろうか? そんなことがあるのか?
「あっ、リーナ! どこ行っていたの? あなたにもお洒落な夏服を用意してたんだから。ほらこれ可愛いでしょ、ねえ着てみて!」
衣替えに夢中だった仲間たちがリーナに気付いてやってきた。両手にいっぱい服を抱えている。
「な、なんだこの服は? こんなが、がーりーな服を私が着れるわけがないだろう、私は魔界騎士だぞ!」
「いいからいいから。ほら、着替えさせてあげる。みんな手伝って!」
「ひゃっ、なにをする?? わわわっ、やめろーーーーっ!!」
リーナはノマドの女子軍団にズルズルと引きずられていった。
「リーナさん、頑張ってください……」
さっきまで彼女たちの玩具になっていたエレーナは同情するように言った。
「あれ?」
リーナがいた場所にキラキラした細いものが落ちている。それを拾った。強い魔力を感じる。
「これは……もしかしてフェンリルの毛? じゃああの守りも?」
「ど、どうせ着るならイングリッド様みたいにしてくれ! 私はクールでスタイリッシュな服が好きなんだ! うわわわわわわ!」
詳しく尋ねようにも、リーナは揉みくちゃにされて着せ替えの真っ最中だ。
石化を防いでくれる守りも着替えからは守ってくれないのだった。
(了)
【制作後記】
【サマーストーム】リーナが実装された。
ガーリーなポニーテールがとんでもなく可愛いのだが、それだけではなく「部隊全体の石化耐性」という驚くべき能力を備えている。
「リーナがなぜそんな能力を?」という疑問から思いついたショートストーリーだ。
イベント「勇者の憂鬱」と「怒れる猫と水着のお姉様」の後日談でもあり、とばっちりで酷い目にあわせてしまったフェンリルと、ラップ大会で鐘一つにしてしまったリーナへのちょっとしたお詫びだ。
前にアップした舞のショートストーリーと比べると量もずっと少ないし、ワンアイデアの小品なので、軽い気持ちで読んでもらえると嬉しい。
ではまた。
【追記】
旭氏がこんな素晴らしい絵をアップしてくれた。感無量。ありがとうございます。
河原で見たよくわからないけど優しい世界 pic.twitter.com/z4vZhkl7yX
— 旭@新刊準備中 (@ASAHIFM) August 6, 2020