戦乙女ヴァルキリー2発売おめでとう♪

発売おめでとう―――と書きつつ、実はまだ発売二日前だ。
自分はルネさんに頂いたサンプルをプレイしている。
制作に一枚噛んだ人間のささやかな役得である。


正式タイトルは、戦乙女ヴァルキリー2「主よ、淫らな私をお許しください……」
『2』とあるのは、もちろんそれ以前に『1』があるからで、
2004年に発売され大ヒットした、戦乙女ヴァルキリー「あなたに全てを捧げます」
いぐぅ」「いきます」「変態」「妊娠確実」といった、エロ心にあふれるキーワードで知られたあのゲームの続編だ。


『1』の時はユーザーとして楽しんでいただけなのに、まさか『2』のシナリオを自分が書くことになるとはビックリだ。
名作の続編なので相当なプレッシャーがあったし、評判がどうなるかについても、いつも以上に気になっている。
既にフライングゲットした方もいるようだが、感想を読むのが怖いのでまだチェックしていない。
といっても、どうせそのうち我慢しきれずに見てしまって、喜んだり凹んだりするのだろうが。


自分でやってみた第一印象は、何はともあれ声優さんすげえ、だ。
書いた台詞が、想像を遙かに超えてはっちゃけた声になっているのが最高である。


正式な発売日は3/28。
この週末は、たくさんの方がプレイしてくださるのだろう。
楽しんでもらえますように。
エロい気分になってもらえますように。

エロ表現のポイントはオノマトペにあり

わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 女陰の呼び方
404 Blog Not Found:あそこってどこ? - 書評 - 色単〜現代色単語辞典


お二人に便乗して、もう一冊紹介。


官能小説用語表現辞典 (ちくま文庫)官能小説用語表現辞典 (ちくま文庫)
永田 守弘

筑摩書房 2006-10
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筆者の永田守弘氏は、毎月30編以上の官能小説を読みこなし、新聞、雑誌などに新刊の官能小説を紹介するこの分野の第一人者だ。(著者紹介より)


その氏が、官能小説663冊の中から、
 ・女性器(陰部、クリトリス、陰唇、膣)
 ・男性器(ペニス、陰嚢、精液)
 ・声
 ・オノマトペ
 ・絶頂表現
といった項目毎に言葉をピックアップし、官能小説での実際の用例をあげつつ説明しているのが本書だ。


一番多いのは、女性器の項目。
そこが一番大事とばかりに、それだけで全体の2/3以上を占めているのは圧巻だ。
男にとって「あそこ」への執着は果てしがないといったところか。


一方、オノマトペの項目は僅か数ページ。
だが、あえてその項目を設けたところに、筆者の心意気を感じる。
エロゲ屋としては、そこもエロ表現のポイントという気がするからだ。


オノマトペとは、擬音語や擬態語のこと。
ガチャガチャ、ワーワー、ビチャッ、ビリビリ、ズルズル……といった類のやつだ。
どうも、日本語は他の言語に比べて、この手の言葉が多いらしい。
確かに、なにか食べようとしただけでも、「ホッカホカ」のご飯に、「あつあつ」のお味噌汁、おかずは「ジュージュー」焼いた焼き肉で、付け合わせは「ほっくり」としたジャガイモとニンジン、それから「キンキン」に冷やしたビールも……などと、ほとんど際限なくオノマトペが出てくる。


食事同様、日本語でエロいことをするときも同じだ。
しかも、使うオノマトペによって、やっているその行為、エロさの雰囲気がぐっと違ってくる。
例えば、こんな文章―――
  「熱く濡れた蜜壷に人差し指を入れた」
なんてのがあったとする。


ここに、「じゅぷっと」というオノマトペを入れると、さてどうなるか?
 「熱く濡れた蜜壷にじゅぷっと人差し指を入れた」
蜜壷にたっぷりと溜まっていた愛液が、人差し指で外に溢れ出てくる……なんて映像が浮かんでこないだろうか。
「じゅぷっと」から伝わる粘着質なニュアンスのおかげだ。


で、オノマトペだけを変えてみる。
  「熱く濡れた蜜壷に人差し指をぬぷぬぷと入れた」
こうすると、人差し指に触れる蜜壷の感触をじっくりと味わいつつ、女を焦らしているようなニュアンスが生まれるように思う。


こんなのもある。
  「熱く濡れた蜜壷に人差し指をズブリと入れた」
この「ズブリ」は、ナイフを突き刺す時などにも使う。
その連想から、「嫌がりながら感じてしまっている女に容赦なく指をねじ込んでいる」、そんなシーンに似合いそうな表現になる。


また、複数のオノマトペを使うことで、指を入れたそのリアクションではなく、もうちょっと長い時間の行為を書くことも可能だ。
  「熱く濡れた蜜壷に人差し指をぬぷ、くちゅっ、ちゅぷ、ずりゅりゅっと入れた」
人によって受け取り方は様々だろうが、まず「ぬぷ」で指を先っぽだけ入れ、そのまま「くちゅ、ちゅぷ」で軽く掻き回して濡れ具合を楽しみ、それから「ずりゅりゅっ」で指を根本まで一気にねじ込む、そんなシーンをイメージして書いている。


さらに、日本語にはひらがな、カタカナというのもある。
同じオノマトペでも、そこを変えるだけでまたニュアンスが変わる。
例えば、「ぬぷぬぷ」と「ヌプヌプ」
  「熱く濡れた蜜壷に人差し指をぬぷぬぷと入れた」
  「熱く濡れた蜜壷に人差し指をヌプヌプと入れた」
なにが違うと言葉にできなくとも、なにかが違っているのは分かってもらえると思う。
個人的には、「ヌプヌプ」には、より淫靡さを感じる。さらには、愛液のねばつき、熟女の匂い、そんなものも。


とまあ、ただあそこに指を入れるだけとっても、使うオノマトペ一つで色々と違いが出てくるわけだ。
どんな時にどんなオノマトペを使うか。
そのあたりで書き手の趣味が見えてくる気がする。


【関連エントリ】
エロシーンを書くにはイメージが大事
エロゲ会社に応募書類を出す前にチェックすべき7つのこと

エロゲ屋の心をときめかせる

ラブホが何か知らなかった18の頃
ラブホが何か知らなかった18の頃 続き


彼女のあんまりな初っぷりと、彼氏のジェントルマンぶりが素晴らしい。
彼女と彼氏、二人仲良く正座をして、「せっくす」について話をするのもまた良い。
エロいんだけど、エロくない。
さぞ妙な光景だろうが、それも恋人同士ならでは。
普通であれば、恥ずかしくて口に出せないようなこと、言わずもがななこと。
しかし、二人にとって話さなければならないエロ話ならば、そういう雰囲気になるしかないではないか。


彼氏の熱意と、彼女の努力のかいあって、ラブホが何かすら、オチ○チンがどう勃起するかすら知らなかった彼女も、今やスカトロ同人を描くまで性長したとのこと。
実にめでたい。妄想クリエイトの世界へようこそ。


そんな彼女が、二次元と三次元にどう折り合いをつけているかというと、

私たちのセックスはどうかというといたってノーマルです。結局初めてしたのはラブホへいったあの時から4ヵ月後でした。

その頃には「セックスというのはまずフェラしてそのあとパイズリをして、精液を飲んで、ノーマルにつっこんで、そのあとはアナル」くらいに思っていた私はその気でいましたが再び彼に「あれは二次元だからいいんだよ!!リアルでそんなことしてどうするの」「二次元と三次元を錯誤しないように」としかられました。

とのこと。
エロゲ屋的好奇心からいうと、今度は彼女の方が、彼氏を果てしないエロの深みに導いていって欲しいところだが、まあそれはそれ。
とりあえず、かつて初だった彼女の妄想の広がりに、一冊の本を思い浮かべたので、最後にそれを薦めておく。
妄想クリエイトに身をおく者には、必読の本という気がしている。
この彼女は既に読んでいるかもしれないが。


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もう2月か。

今年最初のエントリ……と思ったら、既に1月が終わってしまっている。
1月中は、前半はのんびり過ごしていたものの、後半になって去年の疲れが遅れてでてきたのか、いきなり体調を崩してしまった。
胃だ。ある日、胃に突然来た。
おかげで、救急車で運ばれたり、病院で点滴をうけたり、そのまま軽く入院したりと、生まれてこの方したことのない経験をする羽目になった。
無論、嬉しくもなんともないのだが、救急車を待っている間、「これは持っていかねば」とモールスキンのノートを、保険証と一緒にポケットに突っ込むあたりは、職業病であろう。
幸い、大事にはいたらず、身体にも特に異常もなかったようで、今はゆっくりと体力の回復に努めている。
短い入院ではあったが、色々と考えることができたのは良かったかもしれない。

「恐れを知らぬ川上音二郎一座」観劇

クリスマスの1日前だったが、久しぶりに芝居を見てきた。
芸術座の跡地に新しくできた日比谷シアタークリエ。
そこのこけらおとしとなる、「恐れを知らぬ川上音二郎一座」である。
脚本演出は、三谷幸喜
主演は、ユースケ・サンタマリア常盤貴子堺正章戸田恵子堺雅人 などなど。

あらすじ
今から108年前の明治32年。役者兼演出家兼プロデューサー兼劇団主催者の川上音二郎8は、妻の貞奴や劇団員を連れてアメリカ巡業の旅に出ます。言葉の通じない異国での公演は悪戦苦闘の連続。挙句に悪徳マネージャーに金を持ち逃げされ、まさに踏んだりけったり。
ボロボロの状態で辿り着いたボストンの街で、音二郎が目にしたのは、イギリスの名優ヘンリー・アーヴィングが演じる「ヴェニスの商人」。大入り満員の客席に、音二郎は決意します。「よし俺たちもこれをやろう!」そして彼らは、なんとたった一晩の稽古で、日本版「ヴェニスの商人」をでっち上げてしまうのです。観客はどうせ外人だからと、台詞もデタラメ。言葉に詰まったら「スチャラカポコポコ」で切り抜けようという、はっきり言って無茶苦茶な公演。音二郎一座、起死回生のこの舞台、果たして成功するのか?
「恐れを知らぬ川上音二郎一座」は、この驚愕のボストン公演(実話です)のエピソードを基に、明治の破天荒な演劇人川上音二郎と、彼の妻で日本の「女優」第一号となった貞との夫婦愛を描く、愛と勇気と喝采の物語です。
(公式サイトより引用)

三谷幸喜らしいコメディで、やはり面白かった。
大勢で何かをしようとするが、予想もしないトラブルが次から次へと起こり、
当人達は真っ当なことをしているつもりなのに、端から見ればどうしようもなくおかしいという、
三谷幸喜お得意の、自分の好きな種類の笑いである。


劇中でもう役者達がもう一つの劇「ヴェニスの商人」を演じるという、
劇中劇というスタイルもまた自分の好みで、
本作では、さらに実際の客席を、劇中劇の客席とも見立てていて、
舞台上だけではなく、客席通路や2階のボックス席を使った演出などもあって、
そのへんの一体感が心地よかった。


主役のユースケ・サンタマリアは、舞台で見るのは初めてだったが、
びっくりするくらいテレビと同じに動いていた。
でもそれが、やることなすこととにかく破天荒だけれども、
なぜか人を惹きつける音二郎というキャラにぴったり合っていた。
上手いキャスティングだ。


一方、その妻の貞を演じた常盤貴子は、個人的にはちょっと微妙だったかも。
たまに途方もなく一本調子に喋ることがあり、
演出でわざとやっているのか、本当に舞台で声を出すのに精一杯なのか分からないことがしばしば。
舞台に慣れていないのは伝わってきたけど。


ただ、貞は元は売れっ子の芸者で、演劇で世の中を変えるという音次郎に惚れ込み、
その妻となって一緒にアメリカまで来て、音次郎と劇団員たちの板挟みで苦労し、
本人も一度だけ舞台に立って、舞台への憧れを感じているが、
音次郎がそれを望んでいないため感情を押しとどめている―――という、本作のキーパーソンなわけで、
演技からそこまでの深みが感じられないのは、やはりちょっと残念であった。


残念といえば、二人を長年支えてきた与之助を演じた、堺正章
劇中劇で一人何役もこなし、冒頭で弁士もやるなど、
まさに獅子奮迅の活躍で、むろん演技は見事と言うほかなく、
大いに笑わせてもらったが、惜しむらくは声が枯れていた。
連れも同じことを言っており、幕間のロビーでそんな声がいくつも聞かれたから、
皆同様に感じていたのだろう。
この舞台、2ヶ月の長丁場で、千秋楽も間近だからしょうがなかったのかもしれないが。


あ……もう一つ残念なことがあった。
芝居でなく、劇場のこと。
劇場のシアタークリエ、できたばかりのわりに居心地があまり良くない。というか、悪い。
例えば、よく利用している新宿のバルト9、これはシネマコンプレックス型の映画館だけれども、
それなどに比べると、かなり劣っていたと言わざるを得ない。


まず、椅子が固くて、狭い。
背もたれをもうちょっと傾けて、生地もふっくらしたのにさせて、
前席や隣席との隙間をもうちょっとで良いからとって欲しかった。
実際、1幕の1時間半ほど座っているだけで、普通に疲れてしまった。


少し休憩しようかとロビーに出れば、ここがまたえらく狭く、
そこに至る廊下も狭いので、そこらじゅう人だらけ。缶詰のアスパラ状態である。
そのロビーには売店があるのだが、座るスペースやテーブルなどはなく、
一方の壁に板を張ったカウンターのごときものがあるだけなので、
その板に人が入れ替わり立ち替わり張り付いては、食ったり飲んだりしている。
立ち食い蕎麦か。
係員が、「休憩時間は場内で飲食可能ですので、ご遠慮なくどうぞ」と、さかんに繰り返してたが、
なんということか、椅子に戻ってもドリンクホルダーは付いていないのである。


そしてトイレ。これも普通に狭かった。
まあね、統一はとれているよ。


銀座に近いこともあり、買ったものを預けておくためだろうか、
無料のロッカーなどがあるのは大変ありがたいのだが、
もうちょっと基本的な部分で居心地を良くしてくれないものかと、しみじみ思った。


【関連エントリ・芝居や映画など】
立川志の輔独演会
映画二本。秒速5センチメートル & のび太の新魔界大冒険 〜7人の魔法使い

ディレクターズカットとアニメDVD

個人的には、ディレクターズカットというのもあまり好きじゃない。
特に、公開時のそれよりカット数が増えているもの。まあ、大抵はそうだが。*1
元のままで最高に面白いと思っている者にとっては、増えたカットが蛇足に感じたりする。
想像で十分に補えているのに、説明のカットが入ったせいで、全体のテンポが悪くなっている。
いや、本当は確かに良くなってるのかもしれないが、自分は悪くなってると思う。
そんな経験ってないだろうか。


アニメのDVDでそう思うことが多い。
アニメの場合、ディレクターズカットどころか、
テレビ放映時にまずかった作画を全部(とは限らないが)直したものを、
DVDとして売るのが最近の流行だから、初見と印象が違うのも無理からぬことだ。
もちろん、クオリティは上がっているので普通は気に入るはずだが、
そうでないことがあるのが悲しい。
買ったDVDを棚に入れたまま、自分で録画したテレビ放映版を見るときの虚しさ。
格別のものがある。
せっかく買うんだから、テレビ放映版もDVDに入れておいてくれないものかね。

*1:カットが減っているというと、劇場版エヴァンゲリオンでアスカが「シンジやミサトの座ったトイレなんか座りたくない」というくだりがディレクターズカットでは削られていたような気がする。まずそれを思い出すあたりが変態だ

今年最後の仕事

久しぶりに軽く徹夜。
冬のコミケ用に頼まれた仕事で、普段と少々違う仕事だったので、
思いのほか時間がかかってしまった。
ただ、好きな原画さんとのコラボ企画なので、やっていて楽しい。


もう一件、とあるゲームの続編に参加している。
これが今年最後の仕事になりそうだ。
とても出来がよく、評判もよく、売り上げも素晴らしかったので、
その続編シナリオを書くのは結構なプレッシャーである。
当然、「前より良くなった」と言われたいが、それにはかなり頑張らないと。
映画なんかでも1より2が良くなることは滅多にないから。
例外はターミネーターくらいかな。