バクマン 1巻 感想 「現実とフィクションが交差する現代版まんが道」

 最近、ジャンプは雑誌の方はまったくフォローしていないが、気になったので購入する。
 デスノートの、大場つぐみ(原作)×小畑健(漫画)による新作だけあって、さすがに面白い。
 デスノート同様、ハイテンポのストーリーもさることながら、このバクマンという漫画、文が書けるシュージンこと秋人(あきと)と、絵が描けるサイコーこと最高(もりたか)とがコンビを組んで漫画を作るという物語で、その作品自体が大場つぐみ小畑健のコンビによって作られているという現実との対比が興味深い。
 作り手もそれをアピールしたいらしく、各話の間に、実際に大場つぐみが作った原作ネームと、それを元にした小畑健の作画ネームが載せられている。


 漫画の原作といった場合、台詞とト書きで書かれたシナリオ形式と、ページごとのコマ割りまで描いたネーム形式とが一般的だ。
 バクマンは後者のネーム形式だが、かつては前者のシナリオ形式が主流であったようだ。
 たとえば、漫画原作といえばこの人、「子連れ狼」や「クライングフリーマン」などを手がけた小池和夫の原作は、このシナリオ形式で書かれている。
 他に、バクマン本編でも言及されていたが、「あしたのジョー」や「巨人の星」などの梶原一騎は、小説形式で原作を行っていたらしい。
 いずれにしろ、漫画原作といえば文章のみで書くのが当然だった。


 というよりも、原作者がネームまで描くのは一種のタブーであったようだ。
 このあたりの事情は、実際に原作者であった竹熊健太郎氏のブログに詳しい。

『バクマン。』のネーム原作について(たけくまメモ)
マンガのネームは、映画やドラマでの「絵コンテ」に相当するプロセスでありまして、脚本ではなく「演出」に関わる部分だからです。つまり、ネームを切る(書く)人がそのマンガの監督になるわけですね
(中略)
作者側から出した企画の場合、原作者はシナリオだけではなく、最終的にどんなマンガになるのか、少なくともネーム段階までには関わりたいと考えるのが自然な心理ですが、ネーム作りはマンガ家と編集者の聖域になっていましたので、かつてはなかなか難しかったわけです。

 例として出された映画やドラマ、さらにはアニメでは、監督が脚本家の書いたシナリオを絵コンテにするとき、台詞を直したり、場面の前後を入れ替えたり、場面自体を削ったりと、演出方針に基づいた様々な変更を行う。
 つまり、シナリオはあくまで元になるものでしかなく、ストーリーも含め最終的な決定権は監督にある。それがルール。
 まあ、それで脚本家がどう思うかは別の話だが。
 三谷幸喜は、『振り返れば奴がいる』のシナリオを現場で勝手に直された経験をもとに、ラジオドラマの生放送で主演女優のワガママからシナリオを変更してしまい、そのつじつま合わせのためにスタッフが右往左往するコメディ、『ラジオの時間』を書いたりしている。


 ともあれ、シナリオ形式、ネーム形式の違いこそあれ、漫画でも原作は作品の元になるものであることに変わりはないようだ。
 バクマン作中でも、漫画担当のサイコーがこんな風に言っている。

 もちろん絵にする時 構図は俺が考えるし、コマ割りもそうとう直す
 描こうと思える 元だよ元

 面白いのは、ここでサイコーが「台詞を直す」とは言っていないのと同じく、小畑健も基本的に台詞は弄っていないことだ。
 その一方で、コマ割り、構図についてはかなり大胆な変更を加えていて、「ストーリーは大場つぐみに任せた。自分はそれを絵で見せることに専念する」という、監督としての小畑健の方針がうかがえる。


 また、原作者がネームを書くことにたいするタブー感も、昔とは変わってきているようだ。
 やはり、作中でサイコーが

 自分の話にあったネームを描くんだ
 文章だけで原作ですって言うなら、小説家になるか他の奴と組んでくれ
 言ったよな
 俺が納得できるネーム描けなきゃ組まない

 と言っていることから、タブーどころか『ネームを描けてこそ原作』という、漫画担当としての確固たる考えが読み取れる。
 これは、週刊少年ジャンプとしての方針でもあるのか、同誌が開催している漫画賞「ストキン炎」では、原作としてネームを募集している。
 しかし、これが集英社全体の方針というわけでもなさそうなのがまた興味深く、週刊ヤングジャンプの「新原作大賞」では、書式はシナリオ形式のみときっちり指定されている。


 さて、二人の少年がコンビを組んで漫画家を目指すと聞いて、藤子不二雄の『まんが道』を思い出さない漫画好きはいないだろう。
 バクマンは、まさに現代版まんが道なのだが、主役の二人、サイコーとシュージンが最初から才能にあふれているのが、いかにも今風に思えた。
 一応、徹夜で絵の練習をしたりと、努力もしているようなのだが、その努力している場面自体はあまり描かれず、努力して疲れたという結果だけが示される。
 結果と言えば、才能があるために、その努力の結果すらすぐ現れてしまう。
 その上で、さらに前向き。
 藤子不二雄の「まんが道」で、主人公の満賀が、才野に比べて自分はなんてダメなんだとウジウジしつつ、泥臭く努力していたのとは対照的だ。*1
 で、お互いに「こいつ才能がある。すごいすごい」と褒めあっている。
 クラスの奴がみんな馬鹿に見えるとか言い出すあたり、なんとも生暖かい目線になってしまうが、それはもう自分がこの漫画のメインターゲットではないオッサンだからだろう。
 それに、つらいつらいまんが道を読みたいのなら、「漫画家残酷物語」があるし、ネットには「邪宗まんが道」という大作もある。


 ともあれ、バクマン一巻は、二人でようやく第一作を書き上げ、さあジャンプに持ち込みに行こうというところで終了。
 二人だけの狭い世界で、すごいすごいと言い合っていたサイコーとシュージンがどうなるか、続きが本当に楽しみだ。


 最後に漫画家に必要な三大条件というのを、本編から引用しておく。

その1 うぬぼれ
その2 努力
その3 運
※ただし、天才じゃない場合

いや、まったくその通り。


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*1:もっとも、実際の藤子不二雄はあの手塚治虫に「とんでもない子達が現れた……」と恐怖心・ライバル心を抱かせたほどの才能があったわけだが