対魔忍RPGショートストーリー『夢は悪のくのいちですよぉ!』


「さあて、今日もパトロールに出発しますよぉ。ヨミハラの平和を守り、朧さまのための新たな人材を発掘する。それがこの私の使命なんですから!」
 シキミは碧い瞳を爛々と輝かせ、意気込みも高らかに歩き出した。
 まだ幼さの残る顔立ちではあるが、頭には髑髏の紋章の付いた帽子を被り、裏地が赤の黒マントを付けた颯爽とした姿だ。
 黒と赤を基調にしたスーツは襟と両腕が軍服チックである以外、ボディは豊満な乳房や健康的な下腹部をアピールする編み目、白い太股を存分に見せつけるハイレグカットを経て、膝上から下は光沢のあるラバーソックスブーツでまとめられている。極めつけは染み一つ無い純白の手袋に握られた棘付きの電撃鞭だ。
 ここが東京の地下300メートルにある犯罪都市ヨミハラであることを思えば、彼女を闇の娼館の女調教師と考えてもおかしくはない。
 事実、左右にロールして垂らした金髪を小気味よく揺らし、肩で風を切って歩くシキミの姿に、何か性癖を刺激されでもしたのか、いきなり地べたに跪いて女王様になって欲しいと懇願する男(たまに女)もいる。
 そんな時、シキミは内心では閉口しつつも、仲間からはお人よしと呼ばれる性格を発揮して、「お断りです。お前みたいなド変態はこれでも食らいやがれです」と断りの鞭を男には容赦なく、女には少し手加減して振るってやる。無論、女王様になってやったりはしない。
 そんな彼女はSMの女王でもなければ、露出癖のある軍服フェチでもなく、ヨミハラを事実上支配しているノマド、その大幹部の一人である朧忍軍のれっきとした一員だった。
 今でこそ朧の部下として、偵察任務や新人教育を受け持ち、趣味でパトロールと人材発掘を行っている彼女であるが、そうなるまでには紆余曲折があった。

 シキミはヨミハラの孤児だ。しかもその最下層であるスラム地区に捨てられていた。両親のどちらがどんな事情で彼女を捨てたのかすら定かではないが、親にもらったものはその幼い命と、首に掛けられたプレートに書かれていたシキミという名前だけだった。
 それはスラムでは珍しくもない話だ。そういった赤ん坊の多くは野生の魔獣にすぐに食い殺されるか、邪悪な魔術師に見つかって実験材料にされるか、物心つく前から娼館に放り込まれて生え抜きの娼婦にされるのが関の山だ。
 彼女がそうならずにすんだのは、その頃から持っていた高圧電流を放出する力と、スラムで孤児院を営むという、おそらくヨミハラで最も奇特な鬼、ビルヴァに拾われるという幸運の持ち主だったからだ。
 シキミはビルヴァの孤児院で同じように幸運な孤児たちと成長していった。ごく普通のスラムの住人としてだ。
 つまりはスリ、盗み、かっぱらい、喧嘩は当たり前で、力の無い奴、頭の悪い奴は死んで当然といった日常である。
 ビルヴァの教えにより殺しだけはしなかったが、それも命は大切だからなどという理由ではなく、そこまですると色々と厄介なことになるからだ。
 一度、シキミとその仲間が盗みの最中に、とあるギャング組織の手下を誤って殺してしまい、孤児院を巻き込んだ問題になりかけたことがあった。
 いつも優しいビルヴァがそれはそれは恐い顔になってシキミたちを叱りつけ、全員のお尻を真っ赤になるほど叩いてから、自分が話を付けてくると武器も持たずにそのギャングの本部に出かけていった。
 ヨミハラでもたちの悪い娼館を経営しているギャングだ。自分たちを助けるために先生がそこで身体を売らされるのではないかと心配してこっそり後を付けていったシキミはビルヴァが組織を一つ壊滅させるのを見ることになった。
 最初は穏やかに話し合い、というよりギャングたちが一方的にビルヴァを脅していたが、そこのボスが「許して欲しかったら子供たちを差し出せ」と言った後の先生の豹変ぶり、ギャングが泣こうが喚こうが容赦せずに滅殺していくあの凄まじい姿を思い出すと今でも背筋に震えが来て、叩かれたお尻の痛みが蘇ってくる。
 ビルヴァが裏社会で“血まみれの戦鬼”と呼ばれていたことを知ったのはその後だが、先生には絶対に逆らわないようにしようと固く心に誓ったものだ。
 そんなシキミも年頃に成長し、孤児院を出てヨミハラの住人として独り立ちするときがやってきた。
「先生、私はヨミハラで一番のストリートギャングになってみせますよぉ」
「ほどほどにね。これは私からの餞別よ」
「これは電撃鞭ですね。―――おお、伸縮自在ですごく使いやすいじゃないですか。さすがビルヴァ先生ですねぇ!」
「あなたにはこういう武器の方が向いている思って」
「すぐに殺さずにジワジワと痛めつけるこんな武器が私には向いていると? もしかして先生が考える私の天職は拷問吏ですか? それはこの街には需要が多そうですねぇ」
「そうじゃなくて、あなたは根が優しいから」
 それがビルヴァの言葉だった。
 自分がそうだとはシキミは思っていなかったが、その電撃鞭は使い心地が良いので今でも愛用している。せっかくなので拷問のやり方も覚えた。

 それからしばらくの間、シキミはヨミハラでは珍しくもない孤児出身のストリートギャングとして生活していた。
 彼女の仕事の仕方はシンプルだ。
 狙い目はヨミハラに来て間もない連中だ。名うての犯罪都市で一旗揚げようと、魔界や地上からやって来たばかりの類いがいい。この街はそういう手頃な獲物には事欠かない。
 ノマドの中核を担う大幹部、最強の魔界騎士イングリッドの長年の努力により、ヨミハラでも大通りだけは驚くほどの治安が保たれている。少なくとも街を歩いていて、いきなり死ぬようなことは滅多にない。ともすればそこが最悪の犯罪都市であることを忘れそうになる。
 新参者はそれで勘違いする。ヨミハラなどこの程度だと調子に乗って大通りを外れ、すぐ横の裏通りに気軽に足を踏み入れる。ルール無用の真の暗黒街に自分からのこのこやってくるのだ。
 そんな愚か者がシキミのターゲットだ。
 大抵は背後から近づいて、いきなり電撃鞭で滅多打ちにする。無論、死なない程度に手加減してた。おのぼりさんの全身が痺れ、口もろくに利けなくなったところで言う。
「ヨミハラにようこそ。私の電遁は強烈ですよぉ? 大型の魔獣だって、一撃で仕留められるんですからね……ま、可哀想なんで仕留めませんけどぉ。命が惜しかったらとっとと有り金を出した方が良いですよぉ。そしたらお前みたいな迂闊な奴でも死なないですむ大通りに送り返してやりますから。イヤならいいですよぉ。このあたりは腹を空かせたナイトドッグがよく現れますから、ヨミハラに来た記念に生きながら自分の肉と魂を食われる苦痛を味わってくださいねぇ」
 これで金を出さない相手はまずいない。ヨミハラのルールを教えてやる授業料のようなものだ。
 そして金を払った相手はとどめの一撃で気絶させてから、約束通りちゃんと大通りに返してやっていた。
 目が覚めるまでに大抵は他の誰かに身ぐるみ全て剥がされてしまうが、スラムのストリートギャングとしては稀な優しさと言えた。
 ごく稀に授業料を払おうとしない客もいる。そういう輩は馬鹿で可哀想だと思いつつも、シキミはそのままそこに放り出していく。その後どうなったかは気にしない。
 ただし契約不成立なので金も奪わない。そこはストリートギャングとしてのシキミの矜持であったが、それもスラムでは珍しい性格といえた。

 そんな毎日を過ごし、お人好しの電撃使いとしてストリートギャングたちの間で知られるようになった頃、シキミは致命的なミスを犯してしまう。手を出してはいけない相手を襲ってしまったのだ。  
 スラムを一人で歩いていたその男は良いカモに見えた。体格も普通だし、たいした魔力も感じない。武器らしい武器も持っていない。しかもこの辺りの地理に慣れていないと分かる足取りだ。
 あとは金をたんまり持っているかどうかですねぇ。まあそれは襲ってから確かめるとしましょう。
 運の悪いことに、シキミはその日まで数日続けて得物がなかった。地下都市ヨミハラの天井から降る雨が一週間も続いて、人通りがめっきり減っていたのだ。
 長雨が止んで久しぶりの仕事日。浮かれていたシキミはストリートギャングとしての勘が鈍っていた。
 いつものようにスラムの暗闇に紛れて背後から忍び寄り、全く無防備に見えたその背中に電撃鞭を振り下ろす。
 だがその瞬間、男の姿が消えた。
 「あれっ?」っと思ったときには、そいつはシキミのすぐ横にいた。どうやって移動したのかも分からない。男が突き出した掌の先に人の頭ほどの火の玉が出現する。
 こいつ魔術師ですかぁ!?
 シキミは驚きつつとっさに身体を捻る。だが間に合わない。
 真っ赤な炎の塊が彼女の右半身を焼き、電撃鞭を手から弾き飛ばした。
 熱いというよりもざっくり斬られたような痛みにシキミは倒れ伏した。これまでにも炎の魔法を食らったことはあったがこんな衝撃は初めてだった。ただの一撃で身体に力が入らない。
「女か。対魔忍の私に気づかれずに攻撃を仕掛けてくるとは見事。さすがヨミハラと言っておこう」
「た……対魔忍……!?」
 まだ会ったことはなかったが、そういう輩がヨミハラに出没するとは聞いていた。人間のくせに魔力を持ち、忍法とかいうおかしな技を使って、魔族を狩るといういけ好かない連中のことだ。
「と……とんだドジを……踏んじまったです……対魔忍……なんぞに……この私が……」
 焼けた喉をぜえぜえと震わせながら、急速に霞んでいく目で男を睨み付ける。
 その冷たい瞳を見た瞬間に理解した。こいつは自分を見逃す気は無いと。
「悪く思うな」
 ふざけんなっ! 思うに決まってますぅ!!
 だがそれはもう言葉にならず、男の焼き殺されるのを待つばかりだったその時。
 ごとっ―――。
 奇妙な音がして男の首がシキミの眼前に転がった。
「ふん、対魔忍風情が。この私のシマに踏み込んで生きて出られると思ったのかい?」
 女の声だ。
 しかもどこか聞き覚えがある。
 だ、誰ですか?
 シキミは今にも消え去りそうな意識を振り絞ってその顔を見ようとしたが、それより早く血の付いた鉤爪が伸びてきて、刃の背で顎をグイと持ち上げられた。
「ふん、ビルヴァの所にいたガキかい」
「あくの……くのいち……さん……」
 そう呟いて、シキミは意識を失った。

 ノマドの大幹部、朧。
 嗤う邪悪、凄惨なる女王蜂といった異名を持つヨミハラ最凶のくのいちとシキミが出会ったのは、彼女がまだ孤児院で暮らしていた頃だった。
 当時はその正体など知らず、正月やハロウインやクリスマスなどにふらりと孤児院にやって来てはプレゼントをくれる、顔はちょっと恐いが優しいお姉さんだと思っていた。
 お姉さんはいつも干支の動物やハロウィンの魔女、サンタクロースなどの扮装をしていて、普段何をしているのかまるで分からなかったが、コスプレ衣装を通しても伝わってくる雰囲気が筋金入りの闇の住人であることを教えてくれた。
「お姉さんは何をしているの? 殺し屋?」
「私は悪のくのいちをしてるのさ」
 まだ幼かったシキミの問いにお姉さんは笑いながら答えてくれた。
 “くのいち”という言葉は知らなかったが、ビルヴァ先生が女の忍者―――諜報活動、破壊活動、謀略、暗殺などを行う裏社会のスペシャリストのことだと教えてくれた。
 事実、お姉さんはヨミハラ随一のくのいちであり、ノマドの大幹部、朧としてスラムを支配するとともに、実はシキミたちが暮らしている孤児院も彼女の援助と保護で成り立っているのだと知った。
 すごいお姉さんだ!
 なのに少しも偉そうな顔をせず、自分のことを“悪のくのいち”と言う。
 幼いシキミはガツンと心動かされた。その斜に構えたような態度が格好いいと思ってしまった。彼女の中にこうなりたいという憧れが生まれたのだ。
 幼いシキミが朧を“悪のくのいちさん”と呼ぶようになったのはそれからだった。
 だが孤児院を出てからというもの、シキミが悪のくのいちさんに会うことはなくなっていた。
 相手はノマドの大幹部、そのアジトであるショーパブの場所は知っていたが、十把一絡げのストリートギャングでしかないシキミがおいそれと近づけはしなかった。
 ただ幼い頃に胸に抱いた憧れの存在として、ストリートギャング仲間の間でその名前が出たときに、いつかあの人の下で働きたいと思い出すだけになっていた。
 仕事でドジを踏んだシキミが目覚めたのは懐かしい孤児院のベッドだった。
 悪のくのいちさんが死にかけていたシキミをここに連れてきてくれたのは明らかだった。
 ビルヴァ先生はシキミを叱ったりはしなかったが、「治るまでここでおとなしくしていなさい」と死んだ方がましだったと思えるほどの不味い魔法薬を毎日飲ませてくれた。
 そして三ヶ月後、すっかり傷が癒えたシキミは迷わず悪のくのいちさんのショーパブに向かった。
 助けてもらったお礼と、部下にしてくださいと頼むつもりだった。ビルヴァ先生は「難しいと思うけれど」と言いつつもシキミに紹介状を持たせてくれた。

「とっとと帰りな」
 悪のくのいちさんはにべもなく言った。即答だった。考える素振りすらなかった。
 シキミは二の句が継げなくなったが、きっとわざと冷たい態度をとることで彼女の本気を見ているのだと思い、お腹にぐっと力を入れてもう一度心から訴えてみた。
「私は悪のくのいちさんに小さいころからずっと憧れてたんです。そりゃ今まではチンケなストリートギャングをやってましたが、あのクソッタレの対魔忍から命を助けてもらったお礼をしないわけにはいきません。ぜひ悪のくのいちさんの部下となって―――」
 悪のくのいちさんはシキミが全部言い終わる前に面倒くさげに手を振った。
「うるさいね。チンケなストリートギャングだって分かってるなら、おとなしくそれを続けてりゃいいんだよ。あとその“悪のくのいちさん”ってのはやめな。殺すよ」
「えっ!? そんなに悪のくのいちさんっぽい恰好なのにですか!?」
「ああん!?」
 どうも本気で嫌がっているらしい。孤児院では見たことのない恐い顔で凄まれ、シキミは首をすくめた。
 だけど、今日の悪のくのいちさんの恰好は、胸元からおへその下くらいまでV字に肌を露出させているし、超ハイレグで足の付け根の辺りから太股まで丸見えにしているし、腰回りを始めとして至るところを網タイツにしているから隠している所よりも見えている所の方が多い。
 さっきチラッと確認したが、背中もガバッと開いていて、お尻なんか食い込みが細すぎて一瞬丸出しかと驚いたほどだ。
 つまり今までに見たどんなコスプレ衣装よりも悪のくのいちっぽい。これが本来の姿なんだとドキドキして、ついじっと見つめてしまう。
「なんだいその目は?」
「あくの……じゃなった、初めて見た朧様のくのいち衣装はすごく格好いいです。これぞ悪のくのいちって感じです」
 シキミの熱のこもった視線と言葉に、悪のくのいちさんはウンザリしたような顔になって、
「やかましいねえ。ったく、ビルヴァもなんでこんなのをよこしたんだか。うちに向いてないのは一番分かってるだろうに」
 それは聞き捨てならない言葉だ。シキミは思わす問い返す。
「私が朧様のところに向いてないですと!?」
「ああ、全く向いてないね。どうしてもノマドに入りたきゃイングリッドのとこにでも行きな。あんたみたいのにはお似合いだよ」
 悪のくのいちさんにシッシッと手を払われ、シキミはカーッとなってさらに食い下がった。
「だったら私をテストしてください! こう見えても電撃鞭の扱いには自信があります! 朧様の部下として必ずやっていけます! お願いします!」
「へえ、じゃあその実力を見せてもらおうじゃないか」
 悪のくのいちさんは軽い嘲りを込めて言った。

 シキミはショーパブのホールに連れて行かれた。さっきは裏口からビルヴァ先生の招待状を見せて、悪のくのいちさんのいる事務所に案内してもらったので、ちゃんと店の中を見るのはこれが初めてだ。
 もう今日の営業は終わっていたが、目がくらむほど煌びやかな店内はシキミのホームグラウンドであるスラムとは大違いだった。
 悪のくのいちさんの店に相応しく、とても綺麗だが皆どこか凄みのあるホステスがきびきびと後片付けや掃除をしている。
 悪のくのいちさんがやって来たのに気づくと、「朧様、お疲れさまです!!」ときりっとした声が返ってくる。いかにも鉄の規律の軍団といった感じで、シキミはますますここに入りたくなった。
「ローゼンはどこだい? ローゼン!? インティライミ、ローゼンはどこにいったんだい?」
「ローゼンったらまた!」
 インティライミと呼ばれた子、大きなとんがり帽子に大きな杖を持った魔女―――というより魔法少女と言った方が相応しい子が奥のソファに駆け寄っていく。
「ローゼン、起きて」
「んあ? なあに?」
「朧様がお呼びよ! 起きなさいってば!」
 インティライミはソファで寝ていたらしい子に杖を振り下ろした。
「あいた。もう。インティはすぐに叩くんだからあ。気持ちよく寝てたのに」
「後片付けもしないで寝とる場合か!」
「ふあああ~~、分かってるよぉ」
 ローゼンという子がのっそりと起き上がった。うさぎの獣人らしく頭から長い耳がぴょこんと出ている。一応バニーガールのような恰好をしているが、そばにいる魔法少女と同じくらいこの店の雰囲気に合っていない気がする。
 悪のくのいちさんは後片付けもせずに寝ていたローゼンを咎め立てすることなく言った。
「ローゼン、ちょっとこいつの相手をしてやりな。うちに入りたいから実力を見て欲しいんだとさ」
「入軍希望? 私がテストするんですか?」
「ああ、軽く捻っていいよ」
「分かりました。ふぁあ~~~~っ」
 ローゼンは大あくびをしながら、冬眠から目覚めたばかりのような動きでのそのそとステージに上がっていく。
「朧様、入軍テストなら別の誰かでしたほうがよろしいのでは? ローゼンでは実力を見るもなにもならないと思いますが……」
「いいんだよ」
 インティライミの控えめな言葉を悪のくのいちさんはピシャリと遮った。
 どういう意味だろうかと少し気にはなったが、シキミは電撃鞭を握りしめながら自分もステージに上がる。
「ふあ、いつでもどうぞ」
 ローゼンはまだ眠そうに目を擦っている。
 緩みきっている。隙があるとか無いとか以前の問題だ。どこを打っても当たりそうだ。
 攻撃していいんだろうかと思いつつ、シキミは電撃鞭を振りかぶり、当たってもまだ大丈夫そうなふっくらした太腿のあたりを狙って―――次の瞬間、視界がぷつりと途切れた。真っ暗な世界で意識が遠くなっていく。
「ふん、話にならないね」
 悪のくのいちさんの声が遠くに聞こえ、なにがなんだか分からないままシキミは気絶していた。

 その翌日――。
「なるほどー。ローゼンさんは朧忍軍で1番の暗殺者なんですね。それなら私が一瞬でのされたのも納得ですよぉ」
「昨日は起きたばっかりで力加減ができなくてごめんね。まさか白目剥いてぶっ倒れて失禁するとは思わなかったけど」
「私のオシッコの後始末までさせてまことに申し訳ありませんでした」
「インティにものすごい怒られちゃったよ。朧様の知り合いなのにやりすぎだって」
「とんでもない。ローゼンさんのような強い方を私のテストの相手に選ばれたということは、それだけ悪のくのいちさんの期待が私にかかっているということですよぉ。私の部下になりたければこの試練を乗り越えてこい! そう受け取りました!」
「あはは、それはどうかなあ」
 閉店間際のショーパブの一角でシキミとローゼンが仲良く喋っているのを、事務所から出てきた朧が見つけた。
「ああん?」
 意味が分からないという顔を10秒ほどしてから、バーカウンターで魔法のカクテルを作っていたインティライミに尋ねる。
「なんだあれは?」
「シキミさんとローゼンです」
「見れば分かる。なんでまたあいつを店に入れた? もう来ても追い返せて言ったはずだよ」
「それがその……お客様としていらしたのでうちとしては入れないわけには、前金でちゃんとお金も頂きましたし」
 ちょっと笑っているような顔で答えるインティライミに朧は逆に顔をしかめる。
「なんなんだあいつは!?」
「朧様に憧れて入軍を希望しているのだと思いますが」
「そんなことは分かってる。あいつがうちに向いてないのは昨日のテストでお前も分かったろ?」
「ええまあ……ローゼンが寝ぼけてたのでちょっと手加減しようとしてましたし、本気で打っても当たらなかったと思いますが、ストリートギャングにしては甘い感じですね」
「そうさ。まったくなにを考えて―――」
 その言葉が途中で止まった。
 シキミがこちらを見たのだ。その顔がパッと輝く。孤児院にいた時と少しも変わらぬ鬱陶しいくらい真っ直ぐな憧れの瞳だ。
 嗤う邪悪の異名を持つ彼女にしては稀なことだが、朧は自分でも気づかないうちに逃げたそうな顔をしていた。
「朧様! お疲れさまです! 入軍希望者シキミ、またやってきました! ではローゼンさん、お願いします。今日は本気で行きますよぉ!」
「オッケー」
 唖然としている朧の前で、また勝手に入軍テストが始まっていた。
 シキミは自分で言ったとおり本気で鞭を振るい、今日は5秒ほどでやられていた。
 それからというものシキミがショーパブを訪れてはローゼンに挑み、玉砕していくのが毎日の恒例となっていた。
 最初はちゃんと客として来ていたが、そのうち金が保たなくなったらしく、「お代は私のこの身体で返しますよぉ」などと言って、皿洗いやら掃除やらの下働きまで始めていた。
 それを知った朧は開いた口が塞がらなかったが、二日目の挑戦をなんとなく認めてしまったのがまずかったのか、すでに止めるきっかけを失っていた。
「今日こそローゼンさんから一本取りますよぉ。さあ勝負! 勝負です!」
「もう勘弁してよー」
 そう言いつつも、ローゼンは決して手を抜くことはなく、シキミは飽きもせずに彼女に挑み、毎回毎回景気よくやられていた。
 それでも次第にローゼンの動きに慣れてきたのか、孤児院でビルヴァの手ほどきでも受けているのか、最初は10秒も保たなかった戦いが30秒、1分、2分とそこそこ続くようになっていた。
 しかも最初は閉店後にこっそり行っていたテストが客の間で知られるようになり、今では店のショーとして公開され、ギャンブルまで始まっている。どちらが勝つかではなく、今日はシキミがどれだけ保つかという博打で店の結構な売り上げになっていた。
 こうなると、ただ正式に朧忍軍に入っていないだけのサブメンバーのような存在だ。もちろん軍団の面々にもその為人を知られ、もうすっかり打ち解けていた。
「朧様、そろそろシキミさんの入軍を認めてあげたらいかがですか?」
 インティライミは苦虫を噛みつぶしたような顔でシキミとローゼンとのバトルショーを見ている朧に言った。
「シキミさん、この短期間でローゼンとあれだけ戦えるようになるなんてかなり優秀ですよ」
「分かってるよ。でもねえ……」
「彼女のあの性格は多分変わらないでしょうが、組織を活性化させるには周りと違った個性も必要だと私は思います。例えばイングリッド様のところのリーナさんみたいに」
「嫌な例えを出すね……」
 インティライミの出してくれたカクテルを不味そうに飲みながら朧は呟いた。
「ローゼンさん、行きますよ! 新必殺ライトニングスネーク!! とりゃあーー!!」
「うわっと、あぶなっ!!」
「ちいっ、おしいっ!!」
 今日は今までで一番長く戦いが続いている。
 このままテストを繰り返していけば、いずれはローゼンから一本取れるくらいにはなるだろう。朧を除けば軍団で最強の暗殺者であるローゼンから。あの甘い性格のまま。
「そろそろ潮時かね」
「朧様に憧れてるのは私や他のみんなと同じです。みんなシキミさんのこと応援してますよ。あそこで全く手を抜かないローゼンも」
「ふふ、あんまり意地を張ってると、あんたたち全員に恨まれることになりそうだねえ」
 朧が苦笑しながら自分の負けを認めようとしたとき、部下の一人が店の外から飛び込んできた。
「朧様! C地区が謎のサイボーグ部隊に襲われています!!」
「ちっ!」
 朧は舌打ちして、ホールの部下たちに鋭く命令する。
「お遊びは終わりだ! 馬鹿どもをぶち殺しに行くよ!!」
 シキミとローゼンのテストにワイワイ盛り上がっていた朧忍軍がさっと緊張した。
「シキミ、ごめん。この続きはまた帰ってから!」
「……あ、はい。ローゼンさん、ご武運をお祈りします」
 ステージを駆け下りていくローゼンにシキミが寂しそうな顔をしている。どれだけ朧忍軍に打ち解けたとは言え、まだその一員でないシキミにはこの出撃についていく資格がない。
 さあ、どうするよ?
 朧はその心根に挑みかかるような気持ちでシキミを見据えた。
 目と目が合う。
 シキミは一瞬だけ、朧から目を逸らしかけたが、ギリギリで踏みとどまって、ただの憧れではなく、強い決意をその目に浮かべて言った。
「朧様! 私もつれて行って下さい! 必ずお役に立ってみせます!」
 朧の口元に笑みが浮かぶ。
「ならついてきな! これが最後のテストだ。実戦で実力を見せてもらうよ!」
「はいっ!」

 結局、その実戦テストでシキミは実力を認められ、朧忍軍の一員となった。
 朧が予想したとおり、その甘い性格は今でもあまり変わっておらず、まず暗殺には不向きで、捕虜に対する拷問でも日和ることがある。しかも人よしで騙されやすく、おだてにも弱いというおまけがついている。
 それでも憧れの朧の下で、若干あさっての方向を向いてはいるが、今も精進を続けているシキミなのだった。
「朧様のような立派な悪のくのいちになれるように今日も頑張りますよぉ!」


【制作後記】
 つい先日実装された朧軍団の一人、シキミのお話だ。
 プロフィールに書かれていた設定がやたらと面白かったので、朧の部下になるまでの物語を勢いで作ってみた。もちろん非公式である。
 私はこの子のエロシーンは担当しておらず、カヲルとアスタロトの過去イベント『炎鎖の交』にも出て来ないので、ユニットのプロフィール、フレーバーセリフ、エロシーンだけを頼りに、勝手に色々膨らませて書いている。
 いずれ公式に過去が明かされて、全くの出鱈目だったと判明するかもしれないが、よくあることなので、軽い気持ちで読んでもらいたい。