「時をかける少女」を見て死にたくなるのは、「心のマンコ」の匂いがしないから



『時をかける少女』を見て死にたくなる人はほかの学園ものを見ても死にたくなるのか?

自分の思春期はあんな楽しそうじゃなかったから、そういう作品を見ると死にたくなる…というのなら、エロゲー萌えアニメなどでの明るい学園生活が描かれているような作品でも死にたくなりそうなのだが、そういう話は聞かない。*1

死にたくなる作品として、『耳をすませば』が筆頭で、その次に『時をかける少女』があるようだが、同じ学園を舞台にして人気のあった『涼宮ハルヒの憂鬱』も『スクールランブル』では、こういった話は聞かない。いったい、どこに線引きがあるのだろうか?
(「ARTIFACT@ハテナ系」さんより)

例によって、エロ方面から考えてみる。
死にたくなるかならないかの線引きは、キャラから「心のマンコ」の匂いがするかどうかにかかっているように思う。
「心のマンコ」――ここでは、そのキャラでどのくらいエロいことを考えられるか、性的妄想を働かせられるかを示す度合いと思ってもらいたい。
言い方を変えれば、エロ同人の書きやすさだ。


「心のマンコ」の匂いが強ければ強いほど、そのキャラを使って、色々なシチュエーションのエロ妄想を働かせることができる。
例えば、ストーリー上の恋人と純愛Hをするシーンから始まって、ストーリーでは敵対する相手に無理矢理犯されるシーン、ストーリーなんか関係なく単なる暴漢にいきなり凌辱されるシーンでもいい。
思いのまま、そのキャラでエロいことを考えられる。ズリネタにできる。


逆に、「心のマンコ」の匂いがしないキャラでは、エロ妄想を働かせるのが難しい。
時かけ」の真琴がそうで、他には「耳をすませば」の雫を初めとするジブリキャラの多くがそう。
古い例だと、世界名作劇場キャラなんかもこれにあたる。フローネをオカズにしたという人を自分は知らない。


一般的には、子供向の作品からは「心のマンコ」の匂いがしないことが多い。
ああ、プリキュアは違う。あれはもうプンプンしてる。それが良い。
個人的には、カードキャプターはプリキュアと互角かちょい上、おジャ魔女プリキュアより弱くて、コイル探偵団の連中はあるかなきかの匂い(イサコ除く)、静香ちゃんはエロ場面が多い割にムシューダ。そんな感じだろうか。


上の例ではロリで本来、セックス要素のないキャラばかり続いたが、この「心のマンコ」の匂いがあるかどうかは、作品中でのセックス要素の有無とはあまり関係ない気がする。
例えば、徳弘正也の「狂四郎2030」「近未来不老不死伝説 バンパイア」などエロスとバイオレンスに溢れかえっているが、本編中のそれで十分すぎるくらいなので逆に「心のマンコ」を感じない。
また、鬼頭莫宏の「なるたる「ぼくらの」なども絵柄はかなりの萌え系なのに、その萌えキャラが本編中で十分すぎるくらいエロく、そして酷い目にあっており、もう可哀相で「心のマンコ」の匂いを嗅ぐ気になれない。
耳をすませば」以外のジブリ作品もそうだ。
ナウシカなど初めての相手がユパさまであってもおかしくない気がするし、千尋も実際にやってるかどうかはともかく、やってることは湯女、つまり娼婦なのでエロい要素はありすぎるくらいにある。
が、「心のマンコ」の匂いはしない。少なくとも自分にとっては。*1


さて、「時かけ」に話を戻すが、この真琴というキャラは、実にエロ妄想を働かせずらい。
例えば、「真琴がオナニーしているシーン」を想像することができるか?
自分はできない。
エロゲ屋としては悔しい限りだが、真琴がどんなオナニーをするのか皆目検討がつかない。
なぜか?
理由の一つは、「時かけ」本編において、そういったセクシャルな匂いが可能な限り押さえられていることにある。
恋愛をテーマにしている割には、「こいつらセックスのこととか考えてないんじゃね?」というくらいに、誰も彼もプラトニックだ。表面上は。
そういう一見清いキャラを自分の欲望で汚すのは、醜い自分を見せつけられる感じで、まあ嫌になる。
この汚すのを避けるという気持ちは、「一番好きなキャラは使わない」という、オタクジェントル精神とは違って、むしろ学生時代にクラスメートを使おうとした、してしまった時の底なしの罪悪感と似ている。


一方、表面上、セクシャルな雰囲気を押さえている割には、真琴は普通にオナニーをしていそうである。
なぜなら真琴は普通の女の子だから。
こっちはそれをイメージできないのに、現実に存在している女のようにオナニーしている。普通に。
その普通さが辛い。
おかげで、どこから見ても二次元なのに、あれ? 真琴から漂ってくるのは「心のマンコ」じゃなくて、本物のマンコの匂い。
自分には手に入らない、入らなかった、三次元の「本物のマンコ」の匂い。
これはキツイ。勘弁して。


いや、オナニーするのは悪くない。こっちの妄想の外でやられると、手も足も出なくなる。
例えば、ハルヒなんかは「健康な若い女なんだし身体をもてあましたりもするわ」と、自分からオナニー宣言するありえなさで、逆に「心のマンコ」の匂いを漂わせている。さすが団長は一味違う。


二次元なんだから妄想させてくれよ。
「心のマンコ」の匂いを嗅がせてくれよ、である。


―――という話を、「時かけ」を一緒に見た女性にしたら、「心のマンコ」という言葉はともかくとして、「時かけ」でセクシャルな想像をしにくいということには大いに同意してもらえた。


彼女が言うには、「時かけ」は「恩田陸」の作品に印象が似ているそうだ。
なるほど。確かに、恩田陸の作品に出てくるキャラも、「心のマンコ」の匂いがしない。
実際、「時かけ」で千昭を演じた石田卓也は、恩田陸が原作の映画「夜のピクニック」にも出演している。
この「夜のピクニック」も、どうみても眩しすぎる青春グラフティであり、読んでいると自分の鬱な部分をちくちくと刺激される。名作である。


ただ、恩田陸ファンの彼女もあまり続けて読むと、そのピュアさに食傷気味になるらしく、そういうときは山崎豊子渡辺淳一、あとは江戸川乱歩なんかでリフレッシュするのだそうだ。


【関連エントリ】
ネット通販の妙〜時をかける少女〜
恩田陸『チョコレートコスモス』読了


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*1:クシャナは別。「我が夫となる者はさらにおぞましき物を見るだろう」という台詞には何とも言えない匂いがある