フィクションのセックスで感じてもらうために

404 Blog Not Found:書評 - 感じない男

感じないとはなにか。ずばり、オーガズムを得ない、女性で言うところの感じないと同じである。そうすると「男は簡単に射精するじゃないか」という答えが返ってきそうだが、これが全ての誤解の母だというのが著者の主張だ。


では、逆に考えてみて、不感症にかかっていない男の射精とはどういう体験なのだろうか。もし射精が「排泄の快感」以上のものであり、射精したあとには、満たされたような至福感が全身を包み込み、その余韻が長く残り、けっして空虚な感じが襲ってきたりしないのであれば、それは「男の不感症」ではないと言ってよいと思う。しかし、私の射精はそのようなものではない。

以上に納得する男性は多いのではないか。

異常に納得する。
「昨日の感じがまだ残っててふわふわしてる」とか女性の口から聞く度、「いいなあ」としみじみ思う。
こっちは普通にしてるだけなのに、なぜそんな違いがあるんだか。
個人的に女性視点のシナリオが好きなのは、そういった自分では決して味わえない女性のセックスの快感を、せめて文章で書き、そして読んでみたいからなのかもしれない。

それでは、著者にとっての射精というのはいったい何であろうか。大小便と同じ、排泄、すなわち「汚れを捨てる」行為である。

男性視点にはつきものの射精。
確かに「汚れ」を強調している。
例えば、文章面では
―――ドクッ、ドビュッ! びゅるっ、ぶびゅるるっ!
などど、現実には聞こえるはずのない射精音を書くことがあげられる。
濁音を使うのは、その汚さを強調するためだ。


ビジュアル面では、汚れである精液そのものをCGとして見せられることが大きい。
その結果、現実のセックスであるような、中出しできないが故の外出しではなく、積極的に女性を汚す手段として外出しが大きなウェイトを持ってくる。


「お前を俺で汚してやる」とうそぶき、射精直前のペニスをわざわざ口や膣から引き抜いて、噴出する精液をビチャビチャと相手の顔や身体にぶっかけ、それがドロドロと垂れ落ちていく姿を堪能するのは、まさにフィクションならではの楽しみだ。
個人的には、中でまず出し、射精が終わらないうちに引き抜いてぶっかけ、中も外も汚し尽くすというのが気に入っている。
余談だが、この「ぶっかけ」、Bukkakeとして英語版Wikipediaにものっている。実に素晴らしい。


エロゲの射精の特徴といえば、他に量と数だろうか。
まずは量。とにかく多い。
物の本によると、成人男性による精液の射出量は平均3.5ミリリットル程度らしい。
が、それよりは遙かに多い。
―――びゅっ、びゅびゅびゅっ! ぶちゅっ! ぶびゅぶりゅるっっ!!
と、「いくらなんでも出し過ぎだろ」というくらい景気よく出している。


そして、射精時間も長い。
「一分以上」とか平気で書かれている。いやまあ、自分で書いているんだけど。
これも「フィクションならでは」としたいところだが、洋物のAVなんかだと本当に1分以上射精しているのがあったりする。
以前、聞いた話に、向こうの優れたAV男優の条件の一つとして、「長〜い射精をすることができる」というのがあるとか。
ネットの噂ではエビオスの力を借りて1分射精とかもあったのだが、なんだか怖いので挑戦できない。


そして、射精回数。
まずは口、次にヴァギナ、最後にアナル。お掃除させてもう一回とか。
現実にやったら、次の日大変なことになってしまうが、エロゲでは普通普通。
とあるエロゲでは、14回連続射精なんてのもあった。
確かに売りになる。すごい射精だ。


ライターとしてはかなり疲れそうだけど。
ただ文章を書くだけとはいえ、男が1回射精したり、女が一回イッたりする度に、こっちのテンションも変化している。
文章で「イクぅううっ!」とか書いている時には、心のチンコなりマンコなりがイッているわけで、それが14回。
気が遠くなりそうだ。
でも、ちょっと憧れる。